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2018年7月22日 [説教動画]

2018年7月22日 主日礼拝 説教「仕える者になりなさい」 日本キリスト教団蒲田教会

https://www.youtube.com/watch?v=6ydUu6KHhgo
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「鈴愛と律はどうなる」   [ショート説教]

東京女子大学での奨励 2018年7月20日 マタイ28:16-20

「鈴愛と律はどうなる」  

 皆さん、おはようございます。皆さんは「半分、青い」というNHKの朝ドラをご存知でしょうか。永野芽郁さんと佐藤健さんが出ています。観たことのある方はおられますか?
 
 永野芽郁さんが演じる、主人公の鈴愛という女の子は、子どものころ、病気で片方の耳が聞こえなくなってしまいます。けれども、雨が降っているとき、片方の耳には雨音が聞こえても、もう片方の耳にはそれは聞こえない、だから、雨が降っていても半分は青空のように感じる、というようなユニークな発想の持ち主で、これが「半分、青い」というドラマの題にもなっています。
 
 鈴愛は高校を卒業すると漫画家に弟子入りして、そのうち自分も漫画家としてデビューして、何作かは雑誌に掲載されたり、単行本になったりするのですが、だんだんと書けなくなり、十年目に才能のなさを痛感し、漫画家を辞めて、今は、100円ショップでアルバイトをしています。

 ところで、鈴愛は、7月7日生まれなのですが、同じく7月7日に同じ病院で生まれた律という幼馴染の男の子がいます。この律を佐藤健さんが演じています。

 ふたりは、小学校に上がる前から仲良しで、おたがいに深いところで結ばれているのですが、高校生になると、それぞれ、別の人を好きになったりします。高校を卒業し、律は大学生になり、鈴愛はマンガの仕事を始めますが、今度は、それぞれ、恋人ができたり、それに近い存在の人があらわれたりします。

 けれども、深いところでは、おたがいに好きなんですね。ある日、数年ぶりに故郷で再会した時、律は鈴愛に「結婚しよう」と言いますが、鈴愛はこともあろうに、「無理」と言ってしまいます。それは、じつは、律と結婚したくない、という意味ではなくて、今はマンガに打ち込んでいる、一人前の漫画家になるまでもう少し待ってほしい、という意味だったのですが、律はふられたと思い、やがて別の女性と結婚してしまいます。

 鈴愛もそれから何年か後に別の男性と結婚してしまいます。今週の放送には、鈴愛の結婚式や新婚生活が出てきます。

 では、本当は深いところで結ばれ、好き同士だった鈴愛と律はどうなるのでしょうか。これは、ネットなどで、いろいろな意見を見てみますと、男女の愛を超えた、深いきずなで結ばれ、生涯支えあっていく、と言う人がいます。

 でも、わたしは、そんなのは嫌なのです。小さいころから、あれほど深い信頼、深いつながりを見せてきたふたりなのに、そして、好き同士だったのに、さいごは、ふたりは男女の仲を超えた良いお友達になりました・・・ではあまりにもつまらないと思います。ふたりは、やはり女性と男性として結ばれてほしいと思います。

 鈴愛と律は男女としては結ばれなかったけれども、おたがい、いつも心の中にいる、おたがい、いつも一緒にいる、どんなときでも、そばにいて、支える、二人は男女の愛より強い愛で結ばれている、そういうのでは、わたしは、満足できません。

 けれども、わたしたちと神さまとの関係は、これで良いのです。女性と男性、あるいは、同性どうしでも、あるいは、性の多様性にしたがった多様なパートナー関係でも、わたしは、好きな人同士がカップルとして、恋愛の成就として結ばれることを、おおいに望みます。

 しかし、神さまとわたしたちの関係は、性に基づいたカップルとして結ばれるものでなく、男女の仲を超えた深いつながり、深い関係、いつも心の中に一緒にいてくれる、どんなときでも、そばにいて支えてくれる、そういう関係で良いと思います。

 聖書を読みますと、神さまとわたしたち人間の関係が、男女の関係にたとえられる個所も少しはありますが、圧倒的に多いのは、親子関係です。神さまが親で、わたしたちが子どもという関係です。あるいは、イエスはわたしたちの友だちという関係です。

 今日の聖書の最後に、イエスのこういう言葉があります。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。これは、性に基づくカップル型の結びつきではなく、親子型、あるいは、友達型の結びつきです。

 朝ドラの鈴愛と律については、わたしはカップル型の結びつきをしてほしいと願っていますが、神とわたしたちの関係は、親子型あるいは友達型の「どんなときでもそばにいる」
という関係であることを聖書から教えられ、ああ、神さまは、恋人ではないけれども、親のように、あるいは、友達のように、いつも一緒にいてくれるのだなあ、と心強く思っています。

 お祈りいたします。
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「神さまはわたしたちをけっして見捨てませんし、滅ぼしません」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その87 「神さまはわたしたちをけっして見捨てませんし、滅ぼしません」

申命記4:30 これらすべてのことがあなたに臨む終わりの日、苦しみの時に、あなたはあなたの神、主のもとに立ち帰り、その声に聞き従う。4:31 あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも滅ぼすことも、あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることもないからである。

※苦しみの日には、神さまのもとに立ち返り、その声に聞き従いましょう。希望と慰めの御言葉に耳を傾けましょう。いや、苦しみの日こそ、神さまはわたしたちに駆け寄ってくださり、「わたしはここにいるよ」と声をかけてくださるのです。たとえ、人に傷つけられることがあっても、どんなに苦しいことがあっても、神さまは、わたしたちを見て、ともに心を痛めてくださいます。たとえわたしたちから去っていく者がいても、神さまはわたしたちをけっして見捨てることはありません。たとえわたしたちの存在を無視し、そこにいない者としてしまう人びとがいても、神さまはわたしたちをけっして滅ぼされることはありません。神さまはどこまでもわたしたちに誠実でいてくださいます。

今週の祈り「神さま、乱れる心をもてあますわたしたちを、静かな祈りへとお招きくださり、まことにありがとうございます。神さま、この猛暑の中、被災された方々、支援に駆けつける方々の、精一杯の心身を、どうぞ、お守りください。日陰を備え、風をもたらしてください。のどの渇きを潤し、手足に、体に力を注いでください。安全をお守りください。神さま、炎天下や暑い屋内でスポーツや活動に励む子どもたちをお守りください。指導者に危険を回避する適切な判断と勇気をお与えください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」
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「リーダーではなくサーバントに」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(95)

「リーダーではなくサーバントに」

 サーバントは「召使い」の意味ですから、サーバント・リーダー・シップという言葉は、「リーダーは、まず相手に奉仕し、その後、相手を導くものである」という考え方を表わす、とネットにありました。
 
 ようするに、社長は上から威張り散らすよりも従業員に奉仕するような態度の方が会社をうまく導ける、部長も部下に謙虚にサービスする方が良い上司になれる、ということでしょう。
 
 けれども、ここには、大きな問題があります。それは、サーバントになることはリーダーとして君臨することの手段に過ぎない、社長が従業員に奉仕するのも社長の座を確かにするため、部長が部下にサービスするのも同じ目的に過ぎない、という点です。ほんとうはサーバントではなくリーダーになりたいのです。
 
 新約聖書を見ますと、イエスは、似たようなことを言っています。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」。
 
 この言葉を文字通りに解すれば、サーバントリーダーシップと同じことで、「すべての人に仕える者になる」ことは「いちばん先になる」ための手段ということになります。
 
 けれども、キリスト教ではそうは考えません。イエスはのちに十字架で処刑されます。つまり、社会の最底辺に落とされる、死刑囚という召使いや奴隷以下の位置に落とされますが、それは、イエスがリーダーとして君臨するためだとはキリスト教では言いません。リーダーになるとかならないとかではなく、ただ、イエスがわたしたちの一番下に置かれたと受け止めるのです。
 
 西日本の豪雨による過酷な被害。そこには、多くのボランティアが駆け付けています。クリスチャンたちもそうしています。ただひたすら被災者に仕えようとしています。仕えることでリーダーになろう、サーバントリーダーシップを発揮しよう、などとは考えていないのです。リーダーになるのではなく、ただサーバントになろうとしているのです。イエスがそこに置かれたように。
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「王さまではなく奴隷になりなさい?」 [こども説教]

子ども説教20180722 マルコ9:33-41

「王さまではなく奴隷になりなさい?」
 
 皆さん、おはようございます。王さまと奴隷とどちらが偉いと思いますか。王さまか、奴隷か、どちらかになるとしたら、皆さんはどちらになりたいですか。
 
 イエスさまは、驚くことに、奴隷になりなさい、と教えてくださいました。
 
 皆さん、奴隷になりたいですか。なりたくないですよね。じつは、イエスさまは、本当に奴隷になりなさい、と言っておられるのではありません。イエスさまが本当におっしゃりたいことは、ほかの人より自分が偉いと考えたり、自分の考えの方が正しい、相手は間違っていると言い張ったり、自分の意見を押し付けたり、相手を自分より下に見たり、相手を嫌な気持ちにさせたりするのはやめましょう、ということなのです。
 
 さらには、ああこの人の考えもいいなあとか、ああこの人の言っていることも大切だなあ、この人のしていることも大事だなあ、と、相手を敬い、大切にしましょう、ということなのです。
 
 人の上に立って、人を見下して、威張って、自分の言うことを聞かせて、良い気持ちになるよりも、人を尊敬して、人にやさしくなって、その人の言うことに耳を傾ける、そういう生き方が大切だとイエスさまは教えてくださいました。

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2018年7月15日 [説教動画]

2018年7月15日 説教「この子から出て行け」

https://www.youtube.com/watch?v=MmX0vkXPSKQ
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「神さまは悲しむ人びとを慰めてくださいます」 [中高生向けのお話]

中高生礼拝 20180715 マタイ5:1-10 p.6
 
「神さまは悲しむ人びとを慰めてくださいます」

 皆さん、おはようございます。イエスさまは人びとに山で教えられたことがあります。その教えを「山上の説教」と呼びます。今日の聖書の箇所は、その最初の部分で、ナニナニする人びとは幸いである、という言葉が八つ並んでいます。

 最初の言葉は、「心の貧しい人びとは、幸いである。天の国はその人たちのものである」というものです。「心の貧しい人びと」とはどういう人びとでしょうか。

 心が満ち足りず、寂しい思い、苦しい思いをしている人びとのことかも知れません。では、そういう人びとのことを、どうしてイエスさまは「幸いである」と言われるのでしょうか。

 イエスさまは「天の国はその人たちのものである」と言っておられます。「天の国」とは、死んだ後行く世界というよりも、ほんとうは神さまの愛が満ちあふれているこの世界、わたしたちの生きている世界のことだと思います。

 悲しいこと、苦しいことが多すぎて、なかなか気づきにくいのですが、じつは、そうした悲しみ、そうした苦しみ、そうしたわたしたちの傷を包み込むような神さまの愛が、この世界には満ちあふれています。イエスさまは、わたしたちにそのことを教えてくださっておられます。

 「心の貧しい人びとは、幸いである。天の国はその人たちのものである」というイエスさまのお言葉は、心が満ち足りず、寂しい思い、苦しい思いをしている人びとを、じつは、目に見えない神さまの愛が包み込もうとしておられる、ということを教えてくれているのかもしれません。

 つぎに、今日の聖書の5章4節を見ますと、こうあります。「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」

 これも、悲しんでいる人びとがどうして幸いなのか、わかりにくいのですが、神さまは目には見えませんが、悲しんでいる人びとをこそ、まっさきに慰めようとしておられる、悲しんでいる人びとをやはり悲しい目で、けれども、やさしい目で神さまは見守っておられるということをイエスさまは教えてくださっておられるのではないでしょうか。

 悲しむ人々は幸いである。この言葉を、そのまま聞くと理解しがたいのですが、神さまは悲しむ人々を慰めようとしておられる、というように解釈すると、わかりやすくなるのではないでしょうか。(マタイ5:1-10)

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「信じられなくても、願い求めつづけることが大切です」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(94)

「信じられなくても、願い求めつづけることが大切です」

 子どもが、保育園の時、リレーの最終走者に選ばれました。「おまえが一番足が速いのか」と訊いたら、「先生は、最後まであきらめない人、最後まで走り続ける人にアンカーを任せた、と言っていたよ」という返事でした。

 ある人は高校生の時から自分の部屋に引きこもるようになりました。本人も親も、どうにかしたい、状況を打破したいと、思い悩み、いろいろ努力し、うまくいかなかったり、少しうまく行ったりで、二十年が過ぎました。いつか、いつか、と願いつつ、二十年。これがいつまで続くのか、途方に暮れてしまいました。けれども、今少しずつ、外に出たり、働いたり、人と交わったりするようになり始めたのです。

 病気、仕事、自分の人生。何年も何十年も良くならないように、いや、悪くなっているようにさえ思えることもありますが、きっとどうにかなる、と人生を、いや、自分という存在の宇宙的な土台のようなものを、信頼することが大事なのではないでしょうか。

 聖書によれば、ある少年が、口が利けない、倒れてしまう、口から泡を出す、歯ぎしりをする、体をこわばらせる、という症状に、子どもの時からずっと悩まされてきました。

 父親はイエスに頼みました。「できれば、わたしたちを助けてください」。イエスは答えました。「できれば、などと言ってはならない。かならずできる、と信じるのだ」。

 父親は答えました。「信じます。正直、信じられませんが、助けてください」。

 きっとこうなると信じられれば、それはとてもすばらしいことですが、そんなふうには信じられない場合はどうしたらよいのでしょうか。

 そのときは、「信じられませんが、助けてください」と祈るのです。信じられなくても、願い求め続けることが大切です。

 人生を信頼できる人間にわたしを造り替えてください、また、わたしは人生を十分には信頼していませんが、わたしを支えてください、と祈り求めるように、イエスは促しているのではないでしょうか。

(マルコ9:14-27)
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2018年7月15日 [週報]

2018年7月15日    聖霊降臨節第9主日           No.16

前   奏   
招きの言葉
讃 美 歌  こども121
主の祈り    (お手元のクリアファイルをごらんください)
聖   書   マルコによる福音書9:14-27(新p.78)
子ども説教   
捧げもの(こどもたち)
讃 美 歌  こども24-1「いまそなえる」
祝   福
詩編交読   詩編93編
讃 美 歌   21-4
信仰告白   (お手元のクリアファイルをごらんください)
祈   祷
説   教   「この子から出て行け」 林巌雄牧師
今週の祈り
讃 美 歌   21-394
献   金
祈   祷
讃 美 歌   21-448
頌   詠   一編 539
祝   祷
後   奏
報   告       
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本日の集会: 7:00am 開堂 7:30am 朝礼拝 9:30am 聖書の学び 
10:00am 中高生礼拝 礼拝後:マリアの会、オリーブの会

今週の集会 聖書と祈りの会 水曜日 7:00pm  土曜夕礼拝 7:00pm 


来週の主日礼拝 7月22日(日)  聖霊降臨節第10主日  
☆ 聖書 マルコ9:33-41 詩編93編1-19節
☆ 説教 「仕える者になりなさい」 林巌雄牧師
☆ 讃美歌 こども123、21-3、21-402、21-448、一編539
☆ 9:30am 聖書の学び 10:00am 中高生礼拝
☆ 礼拝後:

報   告
☆教会の三つの部屋の名前を募集しています。受付にある所定の用紙で、応募してください。29日の教会協議会で決定したいと思います。例:「小鳥、野花、緑野(みどりの)」「インマヌエル、アガペー、シャローム」・・・・
☆7月29日の礼拝後に「再建70周年に向けて 齋藤牧師の時代」というテーマで教会協議会を開きます。発題は〇〇さんです。先輩クリスチャンから信仰を学び、受け継ぐために、ぜひご参加ください。
☆「牧師カフェ」のご案内。礼拝後、初めて来られた方や、何度も来られている方で、牧師と話をしたい方は、廊下奥から二番目の小部屋にお越しください。短いお話しや、本格的な話の日時決め、短いお祈りなどをいたします。礼拝終了5分後くらいから20分間くらいの予定です。当番になってくださる方を募集します。お話しに加わっていただいたり、牧師が来る前から部屋で待機したりしていただけたらと思います。
☆「ペンテコステ・夏期献金」をお願いいたします。ペンテコステの恵みに感謝しつつ、また、夏期手当に感謝しつつ、教会の働きを覚え、ささげましょう。それぞれのご用意、ご準備において、八月末くらいまでを目処にお考えください。

これからの主な予定  8月5日 役員会(教会運営委員会)
8月12日 〇〇さん証言 祈祷会 19日 マリアの会、キリスト教を学ぶ会

先週集会報告 礼拝(8日)31名 中高生礼拝(8日)1名 聖書の学び(8日)6名    聖書と祈りの会(11日)4名 土曜夕礼拝(6日)6名

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《使徒書の御言葉》その87「自分の思いではなく、神さまの御心に従いましょう」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その87「自分の思いではなく、神さまの御心に従いましょう」

コリントの信徒への手紙一2:13わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。

※わたしたちは「自分は神さまにふさわしくない」「自分には信仰がない」と考えます。けれども、神さまは「わたしはあなたを愛している」「あなたがどんな人であってもわたしはあなたを愛している」と言われます。わたしたちは自分の思いに従うべきでしょうか。それとも、神さまのお心に委ねるべきでしょうか。神さまのことについては、わたしたちは「自分の知恵」ではなく、「霊」に聞き従いたいと思います。「霊」は、そもそも、神さまの愛であり、御心であり、いのちです。インマヌエル、アガペー、シャロームそのものです。神さまは、わたしたちとともにいてくださり、無償で愛してくださり、平安で満たしてくださいます。わたしたちは、自分の知恵ではなく、インマヌエル、アガペー、シャロームという神さまの叡智に従いたいと思います。

今週の祈り「神さま、嵐の中のわたしたちを祈りへとお導きくださり、まことにありがとうございます。神さま、混沌の大水を、どうぞあなたが治めてください。神さま、つぶれてしまいそうなあわれなわたしたちの魂を、どうぞ、あなたがお助けください。神さま、大災害に見舞われた方々を、どうぞ、あなたがお救いください。支援に駆けつける方々を、どうぞ、あなたがお守りください。あなたの力と愛と慰めを注いでください。神さま、わたしたちの間に、憎しみや無視や断絶ではなく、いたわりと交わりと和解が満ちあふれますように。神さま、あなたのシャロームを、全地に、全人にみなぎらせてください。平和な空気を、胸いっぱいに吸い込ませてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」
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