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《使徒書の御言葉》その83「見下げられているわたしたちを神さまは招いてくださいました」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その83「見下げられているわたしたちを神さまは招いてくださいました」

コリントの信徒への手紙一1:27神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。1:28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。1:29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

※十字架は重刑です。それを受ける者は、世の中では「卑しい」と見なされ、軽蔑されます。力も誉れもない「無力」な人と見なされます。そのような十字架につけられたイエスをキリスト(救い主)とすることは、コリントでは愚かなことだと考えられました。それに加え、教会に集まっていた者たちも、貧しかったり、社会の下に置かれていたりした人びとでした。ところが、教会の中で、自分を誇り、相手を見下すような者が出てきました。そこで、パウロは、キリストの十字架そのものが愚かなものと見なされ、教会に集う者も世の中の弱い人びとであったことを思い起こさせ、傲慢を戒めます。けれども、他の人びとから価値を見出してもらえなかったり、自分でも劣等だと苦しんだりしている者たちを神さまは招いてくださる、というメッセージをも、パウロの言葉から汲み取れるのではないでしょうか。

今週の祈り「神さま、祈りから遠い私たちを祈りへと導いてくださり、まことにありがとうございます。神さま、とても苦しんでいる人がいます。助けてください。絶望している人がいます。希望をお与えください。胸が千々に乱れている人がいます。あなたの平安、シャロームをもたらしてください。孤独の底にいる人がいます。インマヌエル。あなたがともにいてください。あなたの愛をせつに求めている人がいます。どうぞ、無条件の愛、アガペーに気付かせてください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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《創造者に導かれる旅》その82 「十戒は、神のみを、そして、神とのつながりに基づいた隣人関係=愛のみを、真の頼みとする生き方をもたらしてくれます。」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その82 「十戒は、神のみを、そして、神とのつながりに基づいた隣人関係=愛のみを、真の頼みとする生き方をもたらしてくれます。」

出エジプト記20:14 姦淫してはならない。20:15 盗んではならない。20:16 隣人に関して偽証してはならない。
20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。

※十戒の前半部分は、ただ神のみを根本の支えとすべきことが唱えられています。後半は、12節の「あなたの父母を敬え」、13節の「殺してはならない」を含み、隣人を侵害せず、大事にすべきことを求めています。これは、他者を殺すな、盗むな、他者を尊重せよ、誠実であれ、ということでしょう。姦淫はパートナーへの、また、姦淫相手への不誠実であり、軽視であり、信頼を奪うことであり、たましいを殺すことではないでしょうか。あるいは、お金や財産や地位や名誉や人間関係を根本の支えとしてしまうことが偶像礼拝であるように、姦淫も滅びにつながるものへの依存ではないでしょうか。旧約聖書で偶像崇拝が姦淫にたとえられますが、言い換えれば、姦淫は偶像崇拝に匹敵するものなのです。十戒は、神のみを、そして、神とのつながりに基づいた誠実な隣人関係=愛のみを、真の頼みとする生き方をもたらしてくれます。

今週の祈り「神さま、あなたを離れようとしてしまうたましいを、祈りへと呼びもどしてくださり、心より感謝いたします。神さま、子どもたちとご家族をお守りください。神さま、この国のおとなたちに誠実な精神と言動をもたらしてください。神さま、病気やお金、家族、人間関係で傷み苦しんでいる人びとをあなたのまことでお慰めください。神さま、わたしたちの言葉と行いに、わたしたちのあいだに、愛をみなぎらせてください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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《使徒書の御言葉》その82「神さまは、わたしたちが愚かと思うやり方で救ってくださいます」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その82「神さまは、わたしたちが愚かと思うやり方で救ってくださいます」

コリントの信徒への手紙一1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

※イエス・キリストの十字架についての聖書の言葉や教会で語られることは、いまでこそ、わたしたちを決定的に救ってくれるものとして、ひじょうに慕わしく思われますが、十字架は本来、重罪人が受ける死刑の道具でした。絞首台や電気椅子で殺される人についての話は、わたしたちは「愚か」とは言い表さなくても、悲惨なもの、遠ざけたいものと感じ、そこに「神の力」を見出すことなどとうていありえないのではないでしょうか。それなのに、パウロはなぜ、十字架で処刑されたイエスについての話を「神の力」と言い、「救い」と結びつけるのでしょうか。聖書を読み方のポイントのひとつは、常識や一般的考えとは、正反対の価値観を受け取ろうとすることです。十字架という滅びこそが救いであり神の力であることを、パウロはこれからこの手紙で展開していくのです。

今週の祈り「神さま、祈りを忘れたわたしたちを祈りへと連れ戻してくださり、まことにありがとうございます。神さま、あなたのみ言葉とあなたとの祈りを、わたしたちの土台とし、最優先のものとさせてください。神さま、心が押しつぶされたり、体が悲鳴をあげたりしている友に、どうぞ、あなたの癒しの御手をあててください。神さま、自分の思いではなく、あなたの救いの言葉に耳を傾ける者にしてください。目の前にいる人の気持ちに心を配りながら、言葉を発したり、行動したりすることができる者にしてください。あなたに愛されているという思いと、隣人を愛そうという思いで、わたしたちを満たしてください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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《創造者に導かれる旅》その81 「神さまは、生かし、誠実で、わかち与えるお方です」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その81 「神さまは、生かし、誠実で、わかち与えるお方です」

出エジプト記 20:13 殺してはならない。20:14 姦淫してはならない。20:15 盗んではならない。

※神さまはわたしたちを殺すどころか、いのちをお与えくださいました。だから、「殺してはならない」と言われます。神さまはわたしたちから盗むどころか、わたしたちが生きるためにこの世界を用意してくださいました。また、ご自分のいのちをわたしたちにわかちあってくださいました。だから、「盗んではならない」と言われます。神さまはどんなときでもわたしたちと一緒にいると約束してくださり、その言葉に誠実なお方です。だから、「姦淫してはならない」と言われるのです。神さまは、わたしたちを生かし、わたしたちにどこまでも誠実であり、わたしたちにすべてをわかちあたえてくださいます。だから、わたしたちも隣人を生かし、誠実で、わかちあう者であれるように、せつに祈り求めましょう。

今週の祈り「神さま、祈りの貧しいわたしたちに祈りをお与えくださり、まことにありがとうございます。神さま、あなたの愛と平和と寛容と誠実と節制をいつも慕い求める者へとわたしたちを変えてください。神さま、あなたのみ言葉を謙虚に聴く者へとわたしたちを導いてください。神さま、挑み合ったり、ねたみ合ったりするのではなく、たがいに愛しあう者へとわたしたちを育ててください。神さま、苦しみ、悩んでいる人びとがあなたの存在と愛に触れ、慰めと平安が得られますように。わたしたちをその道具におもちいください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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《使徒書の御言葉》その81「有力・優秀・有能なものではなく、無力・劣等・無能の十字架を見つめましょう」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その81「有力・優秀・有能なものではなく、無力・劣等・無能の十字架を見つめましょう」

コリントの信徒への手紙一1:17 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

※パウロは洗礼を否定しているわけではありません。コリントの教会には、どの指導者につくかで分裂があったようですが、誰から洗礼を受けようと、皆イエス・キリストの名によって洗礼を受けたのではなかったか、とパウロはたしなめているのです。また、パウロにとって大事なことは、豊富な知識や優れた知恵ではなく、むしろ、その正反対のもの、つまり、十字架につけられ殺された惨めなキリストの姿でした。わたしたちは有力者につこうとしたり優秀・有能であろうとしたりしますが、パウロは、むしろ、無力で劣等・無能に思えるキリストの十字架を見よ、と呼びかけているのです。

今週の祈り「神さま、思い煩うわたしたちを、野の花のようにただあなたに委ねる祈りへとお招きくださり、まことにありがとうございます。神さま、災害や戦争や不正に苦しめられる人びとを、どうぞ、お救いください。あらゆる暴力・抑圧・ハラスメントの加害者が自分の非を認め、被害者がそこから救い出されますように。神さま、わたしたちが偽りの言葉や行動を止め、むしろ、あなたにも隣人にも自分自身にも誠実になれますように。神さま、わたしたちをうぬぼれや争い、ねたみから救い出し、謙虚、和解、尊敬へと導いてください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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《創造者に導かれる旅》その80 「親に感謝し親に聞くことは、神に感謝し神に聞く、ひとつのきっかけです」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その80 「親に感謝し親に聞くことは、神に感謝し神に聞く、ひとつのきっかけです」

出エジプト記 20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

※わたしたちの生物としての生命も、誰かに踏みにじられてはならない人間としての人格も、永遠なる神さまとつながった永遠のいのちも、わたしたちが自分で創ったものでもなければ、獲得したものでもありません。与えられたものです。神さまからいただいたものです。生命が直接つながる親を思うことは、神さまからの恵みに気付く、きっかけのひとつでありましょう。また、わたしたちは、自分の言葉だけでなく、他者の言葉、ひいては、神さまの言葉に耳を傾けたいと祈っていますが、本を読んだり、人の話を聞いたりするのとならんで、親の言葉に聞くことは、神さまの言葉を傾聴する、導線のひとつでありましょう。

今週の祈り「神さま、わたしたちの心の嵐を治め、静かな祈りへと導いてくださり、まことにありがとうございます。神さま、わたしたちの孤独と恐れと憎しみを、和みと平安と赦しに造り替えてください。神さま、自分の言葉を相手に勝らせようとするのではなく、相手の言葉を尊び、耳を傾ける者にしてください。神さま、喜びながらみ言葉に聞き、しずかに祈り、感謝に満ちてあなたを賛美する教会へと、わたしたちを導いてください。ともにそれを求め、熱い祈りをわかちあう者へとわたしたちを育んでください。神さま、いま苦しんでいる人びと、あなたを必要としている人びとを救い、そばにいる人びとをお支えください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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《使徒書の御言葉》その80「人間の強い思いではなく、神さまの愛に基づいた教会になることを祈り求めましょう」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その80「人間の強い思いではなく、神さまの愛に基づいた教会になることを祈り求めましょう」

コリントの信徒への手紙一1:10 さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。

※まずは、牧師や教師、長や上司が「勝手なことを」言ってはなりません。自分に都合の良いことを言ったり、自分の思いつきや意見を押し付けたりしてはなりません。メンバーは、自分の考えを自由に述べてよいのです。ただし、自分とは違う他の人の意見にも耳を傾け、自分の意見を引っ込めたり変えたりする柔軟性が必要です。「勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合う」とは、誰かの強い意見に押さえつけられてしまうことではなく、イエスさまならどうするか、神さまの愛に基づくならどうするか、信仰に根ざして、祈り合いながら、考えたり、行動したりすることなのです。誰かの強い意見を通すことではなく、神さまの愛に従おうとすることなのです。そういう意味で、わたしたちは、「勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合う」教会になることを切望し、切に祈りたいと思います。

今週の祈り「大地から芽を呼び出し、つぼみから花を開かせる神さま、わたしたちも孤独から祈りへとお招きくださり、まことにありがとうございます。神さま、人びとの心と体を、どうぞ、お癒しください。寄り添う人びとをあなたがお支えください。力をお与えください。見えないところに道を切り開いてください。神さま、わたしたちが教会でも世界でも愛において行動することができますように。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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《創造者に導かれる旅》その79 「安息とは、神さまにいのちを与えられ、養われ、支えられて生きることです」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その79 「安息とは、神さまにいのちを与えられ、養われ、支えられて生きることです」

出エジプト記 20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。

※創世記によりますと、神はわたしたちの生きる世界を創造してくださったあと、第七の日は、安息なさいました。「第七の日を神は祝福し、聖別された」(創世記2:3)。これは、わたしたち人間からすれば、神さまがわたしたちとこの世界を創造してくださったことを思い起こし、神さまを賛美し、祈ることにささげる日でありましょう。そして、そのように過ごすことが、わたしたちの安息になることでしょう。他方、申命記によりますと、この日は、かつてエジプトで奴隷であったイスラエルの人々が神さまによって救い出されたことを思い起こす日です。わたしたちは、神さまによって創造され、生きるための世界を創造していただき、また、今日まで助けられ、支えられ、救われ、生きてきました。安息日は神さまのその恵みを深く感じるための日です。聖書の時代にしたがえば、安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没にあたりますが、神さまがわたしたちにいのちを与えてくださり、そのいのちを今も養い支えてくださることを思い起こし、その恵みに浴するならば、わたしたちはいつでも安息日を生きているのです。

今週の祈り「神さま、苦しむわたしたちを、あなたに祈る安息へとお招きくださり、まことに、ありがとうございます。あなたは、十字架で苦しみ葬り去られたイエス・キリストを、闇から光へと、地底から地上へと、死から復活へと引き上げてくださいました。わたしたちもまた、苦しみから救いへと、苦しみのただ中での救いへと、引き上げていただく希望をいただき、心から感謝を申し上げます。神さま、わたしたちを復活の喜び、復活の平安、復活の安息で満たしてください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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《使徒書の御言葉》その79「神さまの恵みを知ることもまた、神さまの恵みによります」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その79「神さまの恵みを知ることもまた、神さまの恵みによります」

コリントの信徒への手紙一1:4 わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています・・・・・
1:9 神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

※わたしたちは神さまの恵みをどのように受けているのでしょうか。それはイエス・キリストを通してです。神さまがわたしたちとともにおられることを、イエスさまは、言葉を通してわたしたちに気付かせ、病気や障がいの癒しや食卓のわかちあいを通して実感させてくださいます。このイエスさまを通してわたしたちは神さまがともにいてくださる恵みを受け取りますが、同時に、神さまによってこのイエスさまとの出会いに導かれます。わたしたちは自分でキリストを見出したのではなく、神さまによってそうさせていただくのです。つまり、わたしたちが神さまの恵みを受けていることを知ることも、また、神さまの恵みによるのです。それが、神さまのわたしたちへの誠実さであり、真実なのです。

今週の祈り「神さま、わたしたちは苦しんでいますが、わたしたちとともに苦しんでくださるキリストを通して、あなたに祈ることを許され、心より感謝いたします。神さま、キリストがそうなさったように、わたしたちも避けられない苦しみを引き受けて、キリストとともに苦しみの道を歩き抜くことができますようにお導きください。神さま、わたしたちを語る者から聞く者へと作り変えてください。あなたのみ言葉と隣人の声に耳を傾ける者にしてください。神さま、真昼の闇を歩く友を、どうぞ、お支えください。お救いください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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《創造者に導かれる旅》その78 「神さまには誠実に向き合いましょう」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その78 「神さまには誠実に向き合いましょう」

出エジプト記 20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

※「みだりに」を辞書で調べますと「むやみに、わけもなく、勝手に」とあります。ヘブライ語では「むなしく」という意味があるそうです。「神さま、一万円札が道路に落ちていますように」などと何でもかんでもの神頼みになったり、神さまを持ち出して自分の言動を正当化したりするようなことが戒められているのではないでしょうか。神さまに親しむことと軽はずみに神さまを持ち出すこと、切迫したときに神さまに助けを求めることとなんでも「神さまお願い」とすることは、まったく別のことです。わたしたちは、神さまを大切にし、誠実に向き合いたいと思います。神さまご自身が、わたしたちを大切に創造してくださり、わたしたちを救うという御心にどこまでも誠実でいてくださるのですから。

今週の祈り「神さま、自分一人では耐えがたいようなことがあっても、あなたは、わたしたちを祈りへと導いてくださいます。まことにありがとうございます。神さま、どうぞ、避けようのない苦しいことがあっても、キリストがわたしたちの苦しみをわかってくださり、ともに苦しんでくださることを思い、道を歩み続けさせてください。神さま、この国の政治に公正が取り戻されますように。政治によって人びとが苦しめられませんように。神さま、この国が近隣の諸国と真の平和を求めることができますように。神さま、思い悩む若い人びとを、あなたがしっかりと支え、まっすぐに導き、前方に広い道をお創りください。苦しんでいる人びとを、どうぞ、あなたがお救いください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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