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荒れ野にも神さまが [こども説教]

子ども説教20180218 

「荒れ野にも神さまが」 マルコ1:12-15

 皆さん、おはようございます。イエスさまが荒れ野に行きました。荒れ野は、砂漠みたいに、太陽がとても暑くて、水や食べ物がほとんどない厳しいところだと思います。

 イエスさまはそんなところに四十日間もおられました。けれども、神さまの霊が一緒にいてくださいました。目には見えないけれども、神さまが一緒にいてくださったのです。
荒れ野には恐ろしい野獣もいましたが、天使たちがイエスさまを守ってくれました。つまり、神さまがイエスさまを怖い野獣から守ってくださったのですね。

 四十日たって、イエスさまは荒れ野から町に戻ってきました。そこもまた、悪い王がいる厳しいところでした。けれども、イエスさまは荒れ野でも神さまが一緒にいてくださることがわかったので、町でも、目に見えないけれども、神さまが一緒にいてくださる守ってくださることを信じて、「神さまの国が近づいた」と言われました。「いまこそ、神さまがここにきてくださった。それを信じよう」と言われたのです。

 わたしたちも、毎日の生活の中で、荒れ野や悪い王のいる町で起こるような、苦しいこともありますが、目には見えないけれども、神さまがいっしょにいてくださることを信じたいと思います。

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「心の嵐よ、黙れ、静まれ」  [こども説教]

子ども説教20180211 

「心の嵐よ、黙れ、静まれ」 マルコ4:35-41

 皆さん、おはようございます。イエスさまとお弟子さんたちが舟をこいで、湖を渡っていました。向こう岸に行こうとしていたのです。

 すると、突然すごい風が吹き始めました。大きな波が起こり、つぎつぎに舟に襲いかかります。舟はもう水浸しになってしまいました。皆、大騒ぎです。「助けて」と叫ぶ人もいます。

 ところが、イエスさまは、というと、なんと、ぐうぐう寝ていたのです。皆が大慌てなのに、イエスさまは安心して寝ておられたのです。

 けれども、弟子たちが「イエスさま、起きてください」と言うと、イエスさまは起き上がってくださいました。そして、風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」とおっしゃってくださいました。そしたら、嵐は止み、すっかり静かになりました。さっき寝ておられたイエスさまみたいに、みんな安心な気持ちになってしまいました。

 わたしたちは、いつも舟に乗っているわけではありませんね。でも、ときどき、心が嵐になることがあります。心に大きな風が吹き、大きな波が起こり、心が水浸しになることがあります。

 けれども、そんなときでも、目には見えないけれどもイエスさまが一緒にいてくださり、わたしたちの心の嵐に「黙れ、静まれ」と言ってくださると信じたいと思います。

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「友だちとイエスさま」 [こども説教]

子ども説教20180204 
   「友だちとイエスさま」 マルコ2:1‐12
 
 皆さん、おはようございます。二千年の昔、ユダヤの国のあるところに、体が動かなくなってしまった人がいました。けれども、四人の友だちは、なんとかその人を助けたいと思いました。

 そこで、イエスさまのところに連れていくことにしました。ところが、その家に行ってみると、人がたくさんいて、イエスさまのいる奥まで、その人を連れていくことができません。

 けれども、四人の友だちはその人をなんとか助けたいと必死でした。そこで、その人を乗せた板を屋根の上にまで持ち上げ、屋根に穴をあけて、そこから、その板ごとその人をイエスさまの前に降ろしたのです。

 イエスさまはこれを見て、この人たちの信仰はすばらしいと言われました。信仰とは何のことでしょうか。

 信仰とは、ひとつは、この人を何とか助けたいと必死に祈り、必死に行動する四人の友だちの気持ちのことです。

 もうひとつは、どんなに難しいことでも、イエスさまなら何とかしてくださる、イエスさまならなんとか助けてくださると信頼する心、それが信仰なのです。

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よく聞くこころ [こども説教]

子ども説教2018010218 「よく聞くこころ」 マルコ4:1-9

皆さん、おはようございます。皆さんは、人の話をよく聞いていますか。学校の先生から、人が話している時は良く聞きなさい、と言われたことがあるかも知れませんね。
人の話をよく聞くことは、とても大切です。ひとつは、話をする人は、良く聞いてほしいと思って話をしているからです。

そして、もうひとつは、人の話を聞くことで、わたしたちは、大きくなったり、成長したりすることができるからです。

ある人が種をまきました。ある種は、畑でなく、固い道に落ちてしまって、鳥が来て食べてしまいました。ほかの種は、土が少ないところに落ちたので、根があまり伸びず、枯れてしまいました。また、別の種は、芽を出しましたが、その上に他の木が生い茂ったので、実を結ぶことができませんでした。
ところが、ある種は、よく耕された、やわらかなふかふかの畑に落ちて、芽を出し、育ち、実を結びました。

今日のイエスさまのお話の種とは、じつは、神さまの言葉、聖書の言葉、イエスさまの言葉のことなのです。皆さんの心は、じつは、イエスさまが良く耕してくださっています。ですから、わたしたちが神さまの言葉を聞くと、それが種のように芽を出して、育って、実を結んですよ。

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「神さまの愛は空気のように」 [こども説教]

子ども説教201801021 

「神さまの愛は空気のように」 マルコ1:14-20 

皆さん、おはようございます。神さまって目に見えますか。目に見えないですよね。でも、目に見えないけれども、神さまは、いらっしゃるのです。

ちょうど、空気も目に見えないけれども、ここにあるように、神さまの愛も、目に見えないけれども、ここにあるのです。

心って見えますか。見えませんよね。でも、ときどき、友達や、お母さんやお父さん、あるいは、先生の心、やさしい心を感じることはありませんか。ありますよね。

それと同じように、神さまのやさしい心、みんなを愛そう、みんなを守ろうとするやさしい心も、目に見えないけれども、空気のように、このへんに一杯に満ちているのです。
イエスさまは、そのことをわたしたちに教えようとしておられます。最初に、弟子たちに教えました。

その弟子たちは、目には見えないけれども、神さまのやさしい心が空気のように満ちていることを信じて、それから、それを教えてくれたイエスさまを信じるようになったのです。わたしたちも、そのように、神さまとイエスさまを信じたいですね。
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「あなたはわたしの愛する子」 [こども説教]

子ども説教201801014 

「あなたはわたしの愛する子」 マルコ1:1-11 

皆さん、おはようございます。ユダヤの国にヨルダン川という川があります。今から、二千年前、イエスさまのおられたころですね、そのヨルダン川にたくさんの人が集まっていました。

 それは何のためだったのでしょうか。そこには、ヨハネさんという人がいました。ヨハネさんは、ヨルダン川に集まった人びとを川に入らせ、頭のてっぺんまで水の中に潜らせました。

 皆さんも、プールで、頭のてっぺんまで潜ることがありますよね。あるいは、顔を水につけることがありますよね。あんな感じです。そして、しばらくしたら、顔を上げます。すると、息ができるようになり、ああ、生き返った、という気持ちになりますよね。

 イエスさまも、ヨハネさんのところにやってきて、同じことをしました。イエスさまが水の中に頭まで沈めて、しばらくして、苦しくなって、顔を上げて、ああ、生き返った、と思ったとき、空から、こんな声が聞こえてきました。「あなたは、わたしの愛する子」

 神さまが、イエスさまに、「あなたは、わたしの愛する子」と言ってくださったのです。イエスさまだけではありません。神さまは、わたしたち、全員に、「あなたは、わたしの愛する子」と言ってくださるのです。わたしたちは、皆、神さまに愛されている子どもなのです。
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「まずお話を聞きましょう」 [こども説教]

子ども説教20180107 
「まずお話を聞きましょう」 ルカ2:41-52 

 皆さん、おはようございます。皆さんは、勉強は好きですか。イエスさまは、勉強が好きだったようです。

 12歳の時、イエスさまは迷子になってしまいました。両親は一所懸命に探しました。すると、イエスさまは、学者さんたちと一緒にいたのです。そして、学者さんたちのお話を聞いたり、質問をしたりしていたのです。

 勉強をするには、まず教えてくれる人のお話を聞かなければなりません。お話を聞くのはじつは難しいことなのです。お話を聞いているようでぼーっとしてしまったり、ほかのことを考えたりして、お話をよく聞けないことがあります。

 それでも、勉強をするには、まず、教えてくれる人の話をよく聞くことです。自分の考えが浮かんでも、それは横に置いといて、お話をよく聞くことです。それから、やっと、質問をしたり、自分で考えたり、自分の意見を言ったりするのです。

 神さまのことを学ぶときも、同じです。まず、聖書のお話、イエスさまのお話をじっと聞くことです。自分の考えは、とりあえずは、横においておきましょう。それから、やっと、今度は自分で考えてみましょう。

 教えてくれる人のお話を聞くことも、自分で考えることも、どちらも大事ですが、まず、お話を聞く、それから、自分で考える、この順番も大切なのです。
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「神さまがわかるでしょう」 [こども説教]

こども説教 20171231 「神さまがわかるでしょう」

 皆さん、おはようございます。皆さんは、風を見たことがありますか。風は目に見えませんが、風車がまわるのを見たり、落葉が舞っているのを見たりすると、ああ、風が吹いているなあ、とわかりますよね。
 
 では、皆さんは、愛を見たことがありますか。愛も目には見えませんが、誰かが自分にやさしくしてくれたり、自分のことを心配してくれたりすると、ああ、ここに愛がある、と感じることがあります。
 
 さいごに、皆さんは、神さまを見たことがありますか。神さまも目には見えません。けれども、イエスさまのお話を聴いていると、神さまが少しずつわかってくるのです。
 
 イエスさまのお話、というのは、イエスさまがしてくださるお話しのことですが、もうひとつは、イエスさまがこういうことをなさった、イエスさまがこのようにしてお生まれになった、というお話のことです。
 
 神さまは目には見えませんが、イエスさまのお話に耳を傾けていると、神さまのことが少しずつわかってきます。
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「イエスさまは言、命、光」 [こども説教]

中高生礼拝 20171217 
ヨハネ1:1-5 p.163  「イエスさまは言、命、光」

 おはようございます。イエスさまはどんなお方でしょうか。二千年前にイエスさまに会ったことがある人は、イエスさまについて、いろいろなイメージを持ちました。イエスさまに直接会ったことはないけれども、イエスさまについての話を聞いた人びとも、イエスさまについて、いろいろな想像をしました。

 そして、今日読んだように、聖書に書き記したのです。わたしたちも、それを読み、さらに、イエスさまについて、さまざまなイメージを持つようになります。よく「想像の翼を広げる」と言いますが、わたしたちも、聖書を読み、イエスさまはどういうお方なのか、想像の翼を広げてみたいと思います。

 では、聖書を書いた人びとは、イエスさまのことをどのように表現したのでしょうか。どのように想像したのでしょうか。5節をごらんください。「光は暗闇の中で輝いている」。このヨハネによる福音書を書いた人たちは、イエスさまのことを「暗闇の中で輝く光」のようなお方だと想像したのです。

 これは、その人たちが、イエスさまと出会い、それを、いわば、決定的な出会いと強く感じ、また、イエスさまご自身にも、とても強い何かを感じて、それを「暗闇の中で輝かく光」と言い表したのではないでしょうか。今日はアドベントのろうそく三本に火が灯りましたが、この炎も、イエスさまが「暗闇の中で輝く光のようなお方」であることを表わしています。

 それから、4節をご覧ください。「言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった」。ヨハネによる福音書を書いた人たちは、イエスさまのことを「光」だけでなく、「命」とも言い表しています。

 わたしたちは寒い冬はなんだか元気が出ずに、あまり生きているような気がしませんが、天気が良い日に、太陽の光を浴びると、生き返ったような気がします。背中にぽかぽかの太陽の光を浴びると、ああ、生きているなあ、生きるための命が与えられている、背中からチャージされているような気持ちにならないでしょうか。
 
 ヨハネによる福音書を書いた人びとも、イエスさまに出会って、命を充電されたような気持ちになり、イエスさまのことを「命」と言い表したのではないでしょうか。

 最後に1節をごらんください。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とあります。「初めに」とはどういうことでしょうか。「初めに」とは、わたしたちの生きているこの世界の源、根源です。ヨハネによる福音書を書いた人びとは、イエスさまのことを世界の根源にある力、世界を生みだす力のように感じたのです。その力を「言」と言い表しました。わたしたちが話す言葉のことではなく、世界の源にある力、世界を生みだすような力のことです。

 そして、イエスさまは神さまと一緒におられる方だ、いや、イエスさまは神さまご自身だ、と想像したのです。ヨハネによる福音書を書いた人びとは、イエスさまはいつも神さまと一緒におられるなあ、いや、イエスさまは神さまご自身だ、イエスさまは世界の根源、世界を生みだす力のような方だな、と想像し、それを「言」と言い表したのです。

 今日読んだヨハネによる福音書では、イエスさまは言であり、命であり、光であると言い表しています。これらは、いずれも、意味の深い言葉です。皆さんなら、イエスさまをどのように言い表すでしょうか。

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「神さまはともにいてくださいます」 [こども説教]

中高生礼拝 20171203 マタイ1:18-23

 「神さまはともにいてくださいます」

 おはようございます。今日の聖書を読みますと、ヨセフはマリアと縁を切ろうとしました。すると、夢に天使が現われて、「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」と言います。

 「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」。つまり、ヨセフは何かを恐れていたのですね。彼は何を恐れていたのでしょうか。

 ヨセフはマリアと婚約していましたが、マリアはヨセフの知らないうちにお腹に赤ちゃんを宿していました。それは救い主と呼ばれるイエスさまなのですが、ヨセフはそんなことよりも、マリアが自分の知らないうちに赤ちゃんを宿していたことを恐れました。

 そして、ヨセフは、マリア自身をも恐れたのではないでしょうか。ヨセフはマリアに自分とは何かとても違うもの、異なるものを感じて、恐れたのではないでしょうか。わたしたち人間は、残念ながら、自分とかなり違うように思える人、自分にはよく分からない人を見ると、恐れたり、距離を置いたり、ときには、差別したり、攻撃したりしてしまいます。

 このように、ヨセフはマリアから離れようとしました。ところが、神さまは違います。物語のナレーターはこう語ります。22節です。マタイ1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 つまり、神さまは、わたしたちを恐れたり、距離を置いたり、差別したり、攻撃したりするのではなく、わたしたちとともにいてくださるのです。旧約聖書にはインマヌエルという言葉がありますが、それは、神さまがわたしたちと一緒にいてくださる、という意味です。

 ヨセフさんにしてみれば、イエスさまがマリアさんのお腹に宿ったことは、マリアさんと距離を置きたくなる理由となりました。しかし、神さまにとっては、イエスさまの誕生は、神さまがわたしたちと一緒にいてくださる出来事なのです。
 
 今日からアドベント、待降節が始まります。あと三週間でクリスマスを迎えます。イエスさまがお生まれなった意味を、一緒に考えていきましょう。

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