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みんなのおうち [こども説教]

070610  「みんなのおうち」
 みなさん、おはようございます。○○ちゃんのおうちはどこにある? ○○くんのおうちは? ○○くんと○○くんのおうちは? ○○と○○のおうちは? 
 みんな、おうちがありますね。でも、みんなには、もうひとつ、おうちがあります。そのおうちは、どこにあるでしょうか。そうですね。きょうかいは、みんなのいえ、みんなのおうちです。
 みんな、まいにち、おうちに「ただいま」ってかえりますね。それとおなじように、まいしゅうにちようび、きょうかいに「ただいま」ってかえってくるのです。そして、みんな、まいあさ、いってきます、ってがっこうやほいくえんにしゅっぱつしますね。それとおなじように、れいはいがおわると、「いってきます」ってきょうかいからしゅっぱつするのです。
 では、きょうかいではなにをするのでしょうか。きょうかいでは、こうやって、いえすさまのおはなし、かみさまのおはなしをききますね。それから、おいのりもしますね。それから、ごはんもたべます。
 いいですか。きょうかいでは、かみさまのおはなしをききます。おいのりをします。みんなでいっしょにごはんをたべます。そうしましょう、ってかみさまが、このせいしょにかいてくださいました。
 そして、もうひとつ、だいじなこと、いちばん、だいじなことがあります。それは、「みながひとつになる」ということです。「みながひとつになる」ってどういうことでしょう。みながなかよくなるってことです。ひとりひとりがじぶんのことだけしかかんがえない、じぶんのことだけしかしないのでなくて、みんながほかのひとのことをだいじにすることです。それが、みながひとつになる、ということです。
 きょうかいは、みんなのおうちです。○ちゃんと○ちゃんだけのおうちではありません。おにかいは、○ちゃんと○ちゃんのおうち、でも、きょうかいのいっかいは、みんなのおうちです。ですから、みんな、きょうだい、しまいとしてなかよくしましょう。きょうかいでは、わたしたちは、みんなきょうだい、しまいです。そして、きょうかいでは、かみさまがおとうさんです。


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ごめんね、いいよ [こども説教]

 みなさん、おはようございます。みんな、よくけんかしますね。ほうがといぶきもよくけんかをします。でもなかなおりもします。たとえば、こっちのひとがこっちのひとにいじわるなことをいいます。いじわるなことをいわれると、こっちのひとはおこります。そして、けんかがはじまります。おとうさんから、けんかはやめなさい、なかなおりしなさい、といわれます。それで、しかたなく、ごめんね、といいます。そうすると、こっちのひとも、しかたなく、いいよ、といいます。いいよ、って、おこりながらいいます。ほんとうは、ゆるしたくないのに、しかたなくゆるすので、いいよ、っておこりながらいうのですね。
 いいよ、っておこりながらいうよりも、にこにこして、やさしくいったほうがいいとおもいます。でも、ゆるしたくないけれども、ゆるすこともとてもだいじです。ゆるすことのできないひとをゆるすことはとてもだいじです。
 かみさまはゆるすことのできないひとをゆるしました。かみさまはイスラエルのひとたちをとてもあいしていました。とてもだいじにしていました。ところがイスラエルのひとたちはほかのかみさま・・・ほんとうはにせもののかみさまなのですが・・・ほかのかみさまのほうがすきだといって、そっちにいってしまいました。けれども、かみさまは、それでもイスラエルのひとたちをだいじにしました。イスラエルのひとたちはにせもののかみさまのところにいきましたが、ほんとうのかみさまは、「いいよ、おこらないよ」といって、イスラエルのひとたちをむかえにきてくれました。
 みんな、ひとをすきになったことがありますか。ひとをすきになることはとてもだいじです。どんどんひとをすきになってください。かみさまもみんなのことがだいすきです。けれども、かみさまのすきは、わたしたちのすきと、ちょっとちがいます。かみさまのすきと、わたしたちにんげんのすきは、にているけれど、ちょっとちがいます。どこがちがうのでしょうか。よくかんがえてみましょう。


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だんだんまぶしく [こども説教]

 みなさん、おはようございます。
 みんなは、かなしいきもちだったのが、だんだん、だんだん、たのしいきもちにかわっていったことがありますか。おかあさんにおこられると、とてもかなしいきもちになりますね。でも、おかあさんがにこにこのかおにもどると、わたしたちもだんだんだんだんたのしいきもちにかわってきます。おともだちとけんかをすると、とてもいやなきもちになりますね。でも、なかなおりするために、やさしく「ごめんね」「こっちもごめんね」といいあうと、だんだんだんだんうれしいきもちになってきます。かなしいかおがうれしいかおにかわります。
 イエスさまがおいのりをしていました。イエスさまはやまにのぼっておいのりをしていました。なにをおいのりしていたのでしょうか。かみさま、くるしいです。かみさま、たすけてください。そういうおいのりです。イエスさまはたびをしていました。そして、そのたびのさいごで、イエスさまはじゅうじかにつけられることになっていたのです。かみさま、じゅうじかにつくのはこわいです。かみさま、たすけてください。イエスさまはそうやっておいのりをしていました。みんなもこわいことがあったら、かみさまにおいのりしてください。
 イエスさまはこわいかおをして、かなしいかおをしておいのりをしていました。ところがどうでしょう。おいのりをしているうちにイエスさまのかおがだんだんだんだんあかるくなってきました。さいしょはこわいかおでおいのりをしていたのに、だんだんだんだんやさしいかおになってきました。かおがだんだんまぶしくなってきました。そして、きていたふくがまっしろになったのです。
 どうしてでしょうか。かみさまです。かみさまがイエスさまのおいのりをきいて、こわいかおをやさしいかおにかえてくださったのです。くらいかおをあかるいかおにかえてくださったのです。
 みんなも、こころがくらいとき、かみさまにおいのりしてください。かみさま、こわいです。かみさま、さびしいです。たすけてください。いっしょうけんめいにおいのりしてください。そうすると、かみさまがあかるくしてくださいます。うれしくしてくださいます。


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わるいこころをほろぼす [こども説教]

 みなさん、おはようございます。
 ノアのはこぶねのおはなし、おぼえていますか。いまからずっとむかし、イエスさまのころよりももっとむかしのことです。そのころ、にんげんはいつもいつもわるいことばかりしていました。そして、かみさまは、ああこんなことなら、にんげんをつくらなかったほうがよかった、わるいにんげんをみんなほろぼしてしまおうとおもいました。
 それで、かみさまはおおあめをふらせ、こうずいをおこしました。こうずいってわかりますか。・・・・・そうですね。それがこうずいです。ノアさんとそのかぞく、そして、ふねにのったどうぶつだけはたすかりました。
 こうずいのみずがぜんぶなくなって、ふねからノアさんやどうぶつたちがおりてきました。でも、それいがいのにんげんやどうぶつはみんなしんでしまいました。かみさまはそのことをとてもざんねんにおもいました。そして、もうにどとにんげんやどうぶつをほろぼさないとけっしんされました。
 わるいにんげんがいてもほろぼさないのです。では、どうするのでしょうか。わるいにんげんではなく、わるいこころをほろぼすのです。わるいこころのことを「つみ」といいますが、かみさまは、にんげんではなくつみをほろぼすことにしたのです。
 わたしたちのこころのなかには、とってもやさしいきもちがあります。みんな、とってもやさしいこころをもっています。でも、わるいきもちもあって、ときどき、わるいきもちがこころのなかであばれると、おともだちにいじわるしたり、いやなことをいったりしてしまいます。
 イエスさまは、わたしたちのなかにある、そんなわるいきもちをほろぼすために、そして、やさしいきもちをそだてるために、じゅうにかについてくださいました。かみさまは、わるいひとをやっつけるのではなく、わるいこころをやっつけてくださいます。


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ぷれしゃす だいじなもの [こども説教]

 みなさん、おはようございます。
 ○ちゃんと○ちゃんはボウケンジャーをみていましたね。○くんや○くん、○ちゃんは、おにいさん、おねえさんだから、みていないかもしれません。ボウケンジャーにプレシャスというものがでてきます。プレシャスとは「すごくだいじ」「とてもたいせつ」といういみです。
 ボウケンジャーのさいしゅうかいで、ほんとうのプレシャスがなにかわかりました。ほんとうのプレシャス、ほんとうにたいせつなものはなんでしたか。そうです。にんげんのやさしさです。にんげんのやさしさ、これがいちばんたいせつなものです。
 イエスさまがとってもすごいことをしました。あるとき、たくさんのひとがいました。いちまんにんくらいのひとです。いちまんにんというと、ひろしくんやしんくんはサッカーのしあいをときどきみにいくとおもいますが、たくさんのひとがみにきているときがありますね。いちまんにんというと、あれくらいです。そのいちまんにん、みんながおなかをすかせていました。けれども、ぱんはたったいつつ、さかなはにひきしかありません。これでは、ぜんぜんたりません。
 ところが、どうでしょう。イエスさまがわけると、みんなにいきわたりました。そして、みんながおなかいっぱいになりました。どうしてでしょうか。それはイエスさまがやさしいからです。イエスさまは、ほんとうのプレシャス、にんげんのやさしさをもっていたから、みんなでパンとおさかなをなかよくわけあうことができたのです。
 けれども、イエスさまがもっていたプレシャスは、じつは、にんげんのやさしさだけではありません。イエスさまのもっていたプレシャス、イエスさまのもっていたとってもたいせつなものとは、かみさまのやさしさなのです。いちばんたいせつなもの、それは、じつは、かみさまのやさしさです。
 イエスさまはいつつのパンとにひきのさかなをこうやってもって、かみさまにおいのりしました。かみさまにおいのりをすると、かみさまのやさしさがイエスさまのこころのなかに、そして、みんなのこころのなかにやってきます。みんなのこころのなかに、かみさまのやさしさがはいると、みんなでぱんとさかなをなかよくわけることができるのです。


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よくきく、よくよむ、よくみる [こども説教]

 みなさん、おはようございます。○○くんはサッカーをやっているよね。ボールのけりかたとか、どうやっておぼえた? コーチにおしえてもらった? コーチにおしえてもらうんだけれど、コーチがどうやってボールをけるか、よくみて、じぶんもおぼえるよね。
 ○○くんと、○○ちゃんと、○○くんはピアノをならっているよね。このあいだ、○○ちゃんがあのピアノでユーモレスクをじょうずにひいてくれました。ピアノをならうときも、せんせいにおしえてもらうんだけど、せんせいがどうやってピアノをひくか、よくみることがだいじですね。それから、せんせいのひくピアノのおとをよくきくこともだいじですね。このように、スポーツやがっきをならうときは、おしえてくれるひとをよくみたり、よくきいたりすることが、とてもたいせつです。
 べんきょうはどうでしょうか。べんきょうは、ほんをよむことがだいじですね。ほんやきょうかしょにかいてあることをよくよむことがたいせつです。それから、べんきょうをおしえてくれるせんせいのおはなしをよくきくこともだいじです。
 いま、いろいろなことをいいました。おしえてくれるひとをよくみる、それから、せんせいのピアノのおとをよくきく、そして、ほんやきょうかしょをよくよむ、そして、せんせいのおはなしをよくきく。
 これは、スポーツやピアノやべんきょうだけではありません。イエスさまのことも、よくみたり、きいたり、よんだりすることがだいじです。イエスさまのことをよくみたり、よくきいたり、せいしょをよくよんだりしていると、すこしずつ、イエスさまのこと、かみさまのことがよくわかってきます。
 イエスさまをよくみたり、きいたり、よんだりしないで、ただじぶんひとりで、かみさまのことをかんがえたり、おいのりしたりしても、じょうずになりません。じぶんでかんがえたり、おいのりしたりするまえに、まず、イエスさまをよくみて、イエスさまのおはなしをよくきいて、せいしょをよくよんでください。そしたら、サッカーやピアノや勉強がじょうずになるように、かみさまのことをかんがえたり、おいのりしたりすることもじょうずになってきます。そして、みんなのこころが、だんだんだんだん、イエスさまのこころのように、やさしいこころ、つよいこころ、がまんできるこころ、おおきなこころ、ひろいこころにそだってきますよ。


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がいこくのひとも [こども説教]

 みなさん、おはようございます。むかし、イエスさまよりももっとむかし、イスラエルのくににエリヤさんというひとがいました。このひとはよげんしゃといって、かみさまのおことばをつたえたり、かみさまのおしごとをてつだったりしていました。あるとき、イスラエルのくににあめがふらなくなりました。あめがふらなくなると、はたけでなにもとれなくなって、たべるものもなくなってしまいます。
 かみさまはエリヤさんにいいました。がいこくにいきなさい。シドンというところにいきなさい。エリヤさんがそこにいくと、おかあさんとおとこのこがいました。このおかあさんとおとこのこにもたべるものがありませんでした。けれども、エリヤさんがきたら、どうでしょう、パンをやくためのこなをつぼにいれてあるのですが、それがつかってもつかってもなくなりません。まいにち、まいにち、パンをやいてたべることができます。こうして、がいこくじんのおかあさんとおとこのこはかみさまにたすけられました。
 エリヤさんのつぎのイスラエルのよげんしゃはエリシャさんというひとでした。エリシャさんのところに、アラムというがいこくから、ナアマンというへいたいさんがやってきました。ナアマンさんはひふのびょうきがなおらなくてこまっていたのです。
 エリシャさんはどうしたでしょうか。がいこくのひとはだめ、といって、おいかえしたでしょうか。いいえ、そうではありません。エリシャさんはナアマンさんのびょうきをなおしました。いいえ、かみさまがなおしたのです。
 このあいだ、ヨルダンかわというかわのおはなしをしましたね。かみさまのことばをかいたいたがはいったはこをかついであるくと、かわのみずがとまったおはなしです。あのヨルダンがわにエリシャさんがはいると、エリシャさんのびょうきはなおりました。
 イスラエルのかみさまは、イスラエルのひとだけでなくて、がいこくのひともすくってくださいます。イエスさまは、ここにいるわたしたちをすくってくださいますが、ここにいないすべてのひともすくってくださいます。いえすさまは、わたしたちのイエスさまですが、わたしたちだけのイエスさまではありません。イエスさまはみんなのイエスさまなのです。


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かわをわたる [こども説教]

 みなさん、おはようございます。
 みんなはモーセさんというひとをおぼえていますか。いまからずっとむかし、さんぜんねんいじょう、むかしのことですが、イスラエルの人々はエジプトというくにでどれいとしてはたらかされていました。かみさまは、モーセさんというひとをリーダーにしてイスラエルのひとたちをエジプトからたすけだしました。イスラエルのひとびとはモーセさんのあとをついてエジプトからにげだしました。エジプトのぐんたいがあとからおいかけてきました。イスラエルのひとびとはいっしょうけんめいににげたのですが、うみまでおいつめられて、もうにげることができません。エジプトのぐんたいにおいつかれてしまう、さあ、どうしよう、もうだめだ、とおもったときに、かみさまがモーセさんに、うみにむかって、てをのばしなさい、といいました。モーセさんがそうすると、どうでしょう。うみのみずがふたつにわれて、そこにみちができて、イスラエルのひとびとはエジプトからにげだすことができたのです。
 さて、それから、なんじゅうねんもたちました。なんじゅうねんものあいだ、イスラエルの人々は、あれのをたびをしていましたが、いよいよ、かみさまがやくそくしてくれたとちにはいろうとしていました。ところがどうでしょう。かみさまがやくそくしてくれたとちにはいるには、ヨルダンがわというかわをこえなければなりません。そのころ、ヨルダンがわのみずはいつもよりふえていました。さあ、ぶじにかわをわたることができるでしょうか。イスラエルのせんとうをいくひとびとは、けいやくのはこというはこをかついでいました。こんなはこです。このはこのなかには、じっかいといって、かみさまのことばをかいたいしのいたがはいっています。するとどうでしょう。モーセさんがエジプトからだっしゅつしたときとおなじように、みずがふたつにわれました。かわのみずがこのようにかべのようにとまったのです。かみさまがみずをせきとめてくださったのです。
イスラエルのひとびとはこのようにかみさまにまもられて、かわをぶじにわたることができました。わたしたちのじだいは、うみのみずがふたつにわれたり、かわのみずがせきとめられたりすることはありませんが、それでも、わたしたちがこまったとき、たとえば、びょうきのときやいじわるされたとき、さびしいとき、そういうとき、かみさまはわたしたちをまもってくださいます。


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いばらない王様 [こども説教]

 皆さん、おはようございます。
 皆さん、王様って好きですか。王様になってみたいですか。あと、4回日曜日が来るとクリスマスです。イエス様のお誕生日です。イエス様がお生まれになった頃、二人の王様がいました。アウグストゥスという王様とヘロデという王様です。
 アウグストゥスはローマ帝国という国の王様です。ローマ帝国はとても大きな大きな国です。いくつもの小さな国をやっつけて自分の家来にして大きくなったのです。アウグストゥスは自分の大きな大きな国に一体何人の人がいるのか知りたくて、一体何人の人々を自分が家来にしているのか知りたくて、数えることにしました。そのために人々は皆自分の故郷、田舎、自分のお父さんのおうちに帰りなさい、という命令を出しました。人々は旅をするのは大変でしたが、王様の命令だから仕方がありません。イエス様のお父さんのヨセフさんとお母さんのマリアさんも王様の命令で旅をしました。その頃は、歩いて旅をしましたから、おなかに赤ちゃんがいたマリアさんにはつらい旅でした。アウグストゥスはこんな王様でした。
 もう一人の王様、ヘロデ王はユダヤという国の王様です。ユダヤはローマ帝国と比べると小さな国でした。ユダヤもローマ帝国の家来にされていました。でも、ヘロデ王はいばっていました。そして、新しい王様が生まれるという話を聞くと、自分の代わりに王様が生まれるのはけしからん、生まれたばかりの新しい王を探し出せ、どの子が王様になる子どもかわからないなら、生まれてくる男の子は皆殺してしまえという命令を出しました。そして、たくさんの赤ちゃんが殺されてしまいました。
 新しい王様とは、じつは、イエス様でした。でも、イエス様は、ローマ帝国の王様でもなければ、ユダヤの王様でもありませんでした。ローマ帝国のアウグストゥスのようにたくさんの人を家来にしたり、ヘロデ王のように子どもたちを殺したりしませんでした。
イエス様は反対にみんなのお友だちになる王様です。みんなと仲良くする王様です。そして、子どもたちや大人を殺すのではなく、反対に、いのちを与えてくださる王様です。イエス様がいのちを与えてくださったのでわたしたちは皆ここに生きています。
 そして、イエス様は、もうひとついのちを与えてくださいます。それは、永遠のいのち、といういのちです。永遠のいのちとは、神様がいつでもきみのことを大好きだよ、神様がいつでもきみと手をつないでいるよ、そういういのちのことです。イエス様は、いのちと永遠のいのちをくださる王様です。あと、4回日曜日が来ると、イエス様という新しい王様のお誕生日です。


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どこから来たの [こども説教]

皆さん、おはようございます。
 たろう君は、月曜日に十歳のお誕生日を迎えました。十歳になったということは、たろう君はこの地球に十年前からいるということです。では、十年よりもっと前はたろう君はどこにいたのでしょうか。そう、およそ9ヶ月くらいの間、お母さんのお腹の中にいました。
 では、それより前はどこにいたのでしょうか。それより前、十年と9ヶ月以上前はたろう君はどこにもいなかったのです。十年と9ヶ月以上前はどこにもいなかったのに、今は、たろう君はここにいます。どうしてでしょうか。
 それは、神様がたろう君を創ってくださったからです。たろう君は、お母さんとお父さんがいて生まれてきたのだけれども、たろう君のいのちは、本当は神様が創ってくださったのです。お母さんとお父さんは、たろう君のいのちが神様が創ってくださったことを知っていました。そして、たろう君には十一月六日とは別にもうひとつの誕生日があることも知っていました。
 1996年○月○日たtろう君がこの地球に生まれてきた日、それとは別に神様にいのちを創ってもらった誕生日があることを知っていました。でもそれが何月何日かはわかりませんでした。そこで、たろう君が五ヶ月近く経った1997年3月30日をたろう君のもう一つの誕生日にしようと思いました。そして、教会で、前の牧師のA先生から洗礼といって、神様からいのちをいただくために、水をかけていただきました。
 その日はイエス様の二回目の誕生日でもありました。イエス様はクリスマスの日に、この地球にお生まれになりましたが、それから30才くらいになって十字架に付けられ死んでしまいました。けれども、神様が復活させてくださいました。イエス様は神様からあたらしいいのちをいただいたのです。その日をイースターと呼びますが、イースターは、イエス様の二回目の誕生日です。たろう君は、イエス様と同じ日に、二回目の誕生日を迎えたのです。
 たろう君がA先生に水をかけてもらった時、そこにいたみんなには神様の声が聞こえました。「この子はわたしの愛する子」。「この子はわたしの愛する子」。たろう君はじつは神様が創ってくださったのです。そして、神様は御自分が創ったたろう君を、神様の子どもとしてとても愛していてくださいます。たろう君だけではありません。○○くんも・・・

061112 創世記18:13-14 ローマ9:6-9 ルカ3:7-14 「神の子どもとされる」

 皆さん、おはようございます。
 今日は、旧約聖書、新約聖書から、三つの聖書の箇所を読みました。こういう風に、礼拝


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