So-net無料ブログ作成
検索選択
2017年05月| 2017年06月 |- ブログトップ
前の10件 | -

負けないいのちの詩54   「盗んではならない」 [負けないいのちの詩]

負けないいのちの詩54   「盗んではならない」

盗んではならない
欲しいと思って人のものを見てはならない

外国から盗んではならない
だまして盗んではならない
武力によって盗んではならない
陸海空軍その他の戦力で盗んではならない
戦争放棄の憲法を奪ってはならない

外国の住民の土地を盗んではならない
そこに軍事基地を造ってはならない
軍事基地建設に反対抵抗する権利を盗んではならない
抗う者を大地から奪ってはならない
ちゅら海を盗んではならない

静寂や音楽を奪ってはならない
罵声を浴びせてはならない
差別されない人生を盗んではならない
虹色の性を盗んではならない
障がい者の生を盗んではならない

職を奪ってはならない
衣食住を奪ってはならない

体を奪ってはならない
魂を奪ってはならない
精神を奪ってはならない

沖縄から沖縄を盗んではならない
民から主権を盗んではならない

nice!(0) 

《使徒書の御言葉》その59「どんなときでも、神さまをこそ希望にして、祈りと御言葉によって霊を燃やし続けましょう」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その59「どんなときでも、神さまをこそ希望にして、祈りと御言葉によって霊を燃やし続けましょう」

ローマの信徒への手紙12:11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。12:12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。

※病気がなかなか快方に向かわなかったり、経済が好転しなかったり、人間関係が良くならなかったり、世相がますます重苦しくなったりして、わたしたちは、なかかなか希望に満ちあふれるような気分にはなれません。それでもなお、神さまがおられるということが希望です。神さまご自身が希望なのです。苦しいと叫びながらでも、神さまに支えられてこの苦しみを何とかやりすごしましょう。いつも祈り続けましょう。「天の国は近づいた」「救いは近い」という御言葉の炎に霊を燃やされて、繰り返し主に思いを向け、主こそがわたしたちと治めてくださるお方と信じましょう。

今週の祈り「主なる神さま、この荒れ野におきまして、なお、あなたがおられ、祈りへとお招きくださる、この大きな恵みに心より感謝を申し上げます。神さま、わたしたちを偶像崇拝からお救いください。自分の力や財産や知恵や知識や地位、腕力、権力、武力に頼ることなく、ただ、あなただけを根本の頼みとさせてください。ただ、あなただけに治められ、ただ、あなただけに仕えさせてください。神さま、あなたの御言葉を、あなたの真理を、あなたの平和を、虚偽と暴力の荒れ野で告げる者として、わたしたちをお遣わしください。遣わされる友の道を開き、支え、お導きください。イエス・キリストとともにあなたを仰ぎつつ、このお祈りをおささげいたします。アーメン」

nice!(1) 

2017年6月18日 [週報]

2017年6月18日  聖霊降臨節第3主日               No.12

前   奏   
招きの言葉
讃 美 歌  こども119
主の祈り    (お手元のクリアファイルをごらんください)
聖   書   マタイによる福音書3:1-6(新約p.3)
子ども説教   
捧げもの(こどもたち)
讃 美 歌  こども24-1「いまそなえる」
祝   福
詩編交読   詩編22編1‐12節
讃 美 歌   21-361
信仰告白   (お手元のクリアファイルをごらんください)
祈   祷
説   教   「新しい生き方」
今週の祈り
讃 美 歌   21-517
献   金
祈   祷
讃 美 歌   21-412
頌   詠   一編 541
祝   祷
後   奏
報   告      
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

本日の集会:9:30am 聖書の学び    10:00am 中高生礼拝
 礼拝後:マリアの会、キリスト教を学ぶ会

今週の集会 聖書と祈りの会 水曜日 7:00pm  土曜夕礼拝 7:00pm 

来週の主日礼拝 6月25日(日)  聖霊降臨節第4主日
☆ 聖書 マタイ5:13-16  詩編23編
☆ 説教 「塩と光」 林巌雄牧師
☆ 讃美歌 こども120、21-363、21-518、21-413、一編541
☆ 9:30am 聖書の学び 10:00am 中高生礼拝
☆ 礼拝後:愛餐会

報   告
☆本日の12時15分より、「キリスト教を学ぶ会」を開催します。今回のテーマは「聖霊」です。この会は、若い世代や信仰生活の初々しい人、長い人がともに学び、語り合い、信仰を育て、教会共同体を築いていくためのものです。どなたもご参加ください。
☆7月9日の午前10時より礼拝堂で、讃美歌練習をします。ぜひ、ご参加ください。これから、一か月に一度くらい、礼拝前に讃美歌練習をしたいと思います。
☆「ペンテコステ・夏期献金」にご協力をお願いいたします。詳しくは、別紙をご覧ください。

これからの主な予定 7月2日 聖餐式、役員会(教会運営委員会) 
7月9日 礼拝前讃美歌練習、祈祷会、キリスト教を学ぶ会  
7月16日 マリアの会、オリーブの会
7月23日 ワックスがけ、クリスマスツリーの塗装  7月30日 讃美歌を歌う会

先週集会報告 礼拝(11日)42名   中高生礼拝(11日)7名 
聖書の学び(11日)7名  聖書と祈りの会(14日)4名 土曜夕礼拝(10日)9名

nice!(1) 

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(64)「わたしたちを本当に治めるものは為政者ではありません」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(64)「わたしたちを本当に治めるものは為政者ではありません」

 安倍政権が「共謀罪法」を強引に「成立」させました。今回だけではありません。何万人もの市民や野党政治家、学者らが連日激しく抗議をしたにもかかわらず、特定秘密保護法や安保法制も、暴力的な採決で「可決」させてきました。

 これだけではありません。県知事を先頭に、沖縄の人びとが長い苦難の歴史を背景に、米軍基地反対を訴え続けているのに、安倍政権は、辺野古や高江に新基地を「粛々」と造り続けます。官房長官の口から出るとき、この「粛」は、けっして「おごそか」「静か」ではなく、「粛清」の「粛」を思わせます。

 さらに、森友学園、加計学園、強姦容疑のジャーナリスト擁護など、この内閣には、濃灰色の疑惑、疑惑もみ消しの疑惑もつきまといます。

 政府とは、本来、主権者である住民から一時的に行政権を委託されているに過ぎず、行政権も立法権も司法権も住民の主権に由来し、従属するものであるのに、この政権は、自分たちが王であり、この世の支配者であるがごとく振舞っています。

 新約聖書によれば、イエスは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言っています。ヨハネという人も、イエスに先立ってそう言っています。

 わたしたちが真に従属すべきものは何でしょうか。わたしたちを真に治めるものは何でしょうか。それは、王でもなければ皇帝でもなく、大統領でもなければ総理大臣でもありません。真理、真実、誠実、慈愛です。ひとりひとりの人間、ひとつひとつの生命、そして、生命の総体がもつ尊厳です。それを誰もが侵してはならない、何よりも尊ばなければならない、という崇高な精神です。

 「天の国は近づいた」ということは、神こそがまことの王だ、ということです。この世の為政者は、世界を真に治めるものではないということです。そして、この場合の神は、上に挙げた「真理、真実、誠実、慈愛、尊厳、崇高な精神」に限りなく近いものだと思います。

 どのような暴君が暴挙を続けようとも、わたしたちを真に治めるものが別に存在するのです。そして、その存在は、わたしたちの人間性に転換をせまります。「悔い改めよ」です。

 力による支配から愛による奉仕へ、独裁支配から民衆主権へ、私利私欲ではなく苦しむ者たちの救済へと意識を転換する。真の統治者はわたしたちにこれを促し、これへと導いてくれるのです。

nice!(0) 

負けないいのちの詩53   「殺してはならない」 [負けないいのちの詩]

負けないいのちの詩53   「殺してはならない」

殺してはならない
人に腹を立ててはならない
人にばかと言ってはならない
人に愚か者と言ってはならない

仲直りしなさい
和解しなさい

戦争をしてはならない
武力による威嚇、武力行使をしてはならない
陸海空軍その他の戦力を保持してはならない
国の交戦権を認めてはならない

軍事基地を造ってはならない
軍事基地建設に抵抗する者を殺してはならない
指一本触れてはならない
押してはならない
大地を守る者を引きはがしてはならない
抱え上げてはならない
殴ってはならない
蹴ってはならない
小舟に高速艇が体当たりしてはならない

人の顔を水に抑え付けてはならない
罵声を浴びせてはならない
ヘイトスピーチをしてはならない
人種差別・民族差別をしてはならない
性差別をしてはならない
障がい者を殺してはならない
地位差別をしてはならない
空気による差別をしてはならない

解雇してはならない
衣食住を奪ってはならない
地面に抑え付けてはならない

体を殺してはならない
魂を殺してはならない
精神を殺してはならない

独裁や根回しによって民主主義を殺してはならない
虚偽でもって真理を殺してはならない

nice!(0) 

2017年6月11日 [説教動画]

2017年6月11日 説教「ゆだねる」 マタイ11:25-30

https://www.youtube.com/watch?v=uhCFgeJ7xbw
nice!(0) 

《創造者に導かれる旅》その59「神さまのわざは希望のしるしです」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その59「神さまのわざは希望のしるしです」

出エジプト記 7:22 ところが、エジプトの魔術師も秘術を用いて同じことを行ったのでファラオの心はかたくなになり、二人の言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。

※わたしたちは神さまがなさることと人間がすることを混同していないでしょうか。古代のエジプト王ファラオは、神さまの業を魔術師の秘術のようなものと錯覚してしまいました。同じような不思議なことが起こったように思えても、神さまのわざは、自分を誇示したり、相手を威嚇したり、自分に利益をもたらしたりするためのものではありません。それは、むしろ、神さまがこの世界を創造し、悪や苦に満ちれば変革することを示し、わたしたちの足もとをたしかにし、同時に、前方に道を切り開いてくださるもの、つまり、希望のしるしなのです。

今週の祈り「神さま、どんな時でも、祈りにお招きくださり、心より感謝申し上げます。神さま、体が傷み、心が張り裂けそうな友がいます。神さま、どうぞ、ともにいてくださり、傷む体にあなたの癒しの御手をおあてください。嵐のような心の深いところに、あなたの凪をもたらしてください。神さま、それぞれの家族が助け合い、穏やかに過ごすことができますように。神さま、この国とこの世界に、愛を回復させてください。他の人々のことを考えず、ただ自分の思いを貫こうとするわたしたちを打ち砕き、他者を気遣い、いたわり、尊重し、愛する者へと生まれ変わらせてください。イエス・キリストとともにあなたを仰ぎつつ、このお祈りをおささげいたします。アーメン」

nice!(0) 

2017年6月11日 [週報]

2017年6月11日  聖霊降臨節第2主日               No.11

前   奏   
招きの言葉
讃 美 歌  こども115
主の祈り    (お手元のクリアファイルをごらんください)
聖   書   マタイによる福音書11:25-30 (新約p.20)
子ども説教   
捧げもの(こどもたち)
讃 美 歌  こども24-1「いまそなえる」
祝   福
詩編交読   詩編21編
讃 美 歌   21-360
信仰告白   (お手元のクリアファイルをごらんください)
祈   祷
説   教   「ゆだねる」
今週の祈り
讃 美 歌   21-516
献   金
祈   祷
讃 美 歌   21-411
頌   詠   一編 541
祝   祷
後   奏
報   告       

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本日の集会:9:30am 聖書の学び    10:00am 中高生礼拝
 礼拝後:祈祷会

今週の集会 聖書と祈りの会 水曜日 7:00pm  土曜夕礼拝 7:00pm 

来週の主日礼拝 6月18日(日)  
☆ 聖書 マタイ3:1-6  詩編22(1-12節)
☆ 説教 「新しい生き方」 林巌雄牧師
☆ 讃美歌 こども119、21-361、21-517、21-412、一編541
☆ 9:30am 聖書の学び 10:00am 中高生礼拝
☆ 礼拝後:マリアの会、キリスト教を学ぶ会

報   告
☆6月18日の午後、「キリスト教を学ぶ会」を開催します。今回のテーマは「聖霊」です。この会は、若い世代や信仰生活の初々しい人、長い人びとがともに学び、語り合い、信仰を育て、教会共同体を築いていくためのものです。どなたもご参加ください。
☆7月9日の午前10時より礼拝堂で、讃美歌練習をします。ぜひ、ご参加ください。これから、一か月に一度くらい、礼拝前に讃美歌練習をしたいと思います。
☆「ペンテコステ・夏期献金」にご協力をお願いいたします。詳しくは、別紙をご覧ください。

これからの主な予定 7月2日 聖餐式、役員会(教会運営委員会) 
7月9日 礼拝前讃美歌練習、祈祷会、キリスト教を学ぶ会  
7月16日 マリアの会、オリーブの会
7月23日 ワックスがけ、クリスマスツリーの塗装  7月30日 讃美歌を歌う会

先週集会報告 礼拝(4日)47名   中高生礼拝(4日)5名 
聖書の学び(4日)7名  聖書と祈りの会(7日)5名 土曜夕礼拝(3日)7名

nice!(0) 

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(63)「幼子のように全体重を世界に委ねる」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(63)「幼子のように全体重を世界に委ねる」

 わたしたちは、いろいろなことが心配です。お給料が下がらないか、会社をクビにならないか、つぎの仕事が見つかるか、見つからなかったらその間どうやって生きて行こうか。これは、非常に深刻な問題です。お金がなければ、すぐに食べることができなくなりますし、住む家も失ってしまいます。あるいは、借金を抱えることになってしまいます。

 心配とはっきり区別しにくいのですが、わたしたちには不安や恐れもたくさんあります。地震や水害が起こらないか。戦争が始まらないか。病気にならないか。子どもたちがそれなりにゆたかに生きられるように進学や就職ができるか。高齢の親が毎日を穏やかに健康で過ごすことができるか。

 心配や不安に加えて、わたしたちは、満たされない思いや後悔の念も背負っています。自分の積み上げてきた成果や養ってきた実力が、先入観や組織の筋によって、あるいは、世間の空気によって、軽く見られている、顧みられていない、そういう悔しさや憤りが重く溜まっています。

 あるいは、あの人にあんなことを言わなければよかったとか、あの時あんなことをしなければ良かったとか、取り返しのつかないことをしてしまったとか、あの人を傷つけてしまったとか、という悔いの想いをも、わたしたちは心の底にヘドロのように沈めています。

 けれども、子どものころ、わたしたちは、もっと身軽でした。こんなに大きなもの、こんなにたくさんのものを背負っていませんでした。たしかに、子どもも、人との接触を通して、痛みや傷を重ねていくのですが、それでも、心配や不安や不満や後悔の念よりも、この世界は信頼できる、まわりの大人が助けてくれる、そういう信頼感が強く、悩むよりも、委ねることの方が勝っていたのではないでしょうか。

 聖書によりますと、神は大切なことを智者や賢者ではなく幼子に示した、とイエスは言いました。抱えている心配や恐れ、不満や後悔について、自分の考えに頼み過ぎて、思い煩うより、幼子のように、自分とまわりを信頼し、委ねること、とくに、神に委ねることの大切さを示そうとしたのではないでしょうか。

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。

 イエスは、ああしなさい、こうしなさい、あれもしなさい、これもしなさい、と人びとに強いませんでした。わたしたちは、自分や他者に、あれもこれも求めすぎて、疲れさせ、重荷をおわせてしまっているのとは、正反対です。

 あれが心配だから、ああしなければ、これが心配だからこうしなければ、とあれこれ思い悩むよりも、子どもの時のように、自分やまわりを信頼して、さらに言えば、生きている世界を信頼して、もうひとつ言えば、神に委ねて、重荷を軽くしよう、とイエスは招いているのではないでしょうか。

 神に委ねるとは、神がいるとかいないとか頭の中で考えることではなく、子どものとき、まわりのおとなや布団に全体重を任せた、あの信頼の感覚に近いのではないでしょうか。


nice!(0) 

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(63)「幼子のように全体重を世界に委ねる」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(63)「幼子のように全体重を世界に委ねる」

 わたしたちは、いろいろなことが心配です。お給料が下がらないか、会社をクビにならないか、つぎの仕事が見つかるか、見つからなかったらその間どうやって生きて行こうか。これは、非常に深刻な問題です。お金がなければ、すぐに食べることができなくなりますし、住む家も失ってしまいます。あるいは、借金を抱えることになってしまいます。

 心配とはっきり区別しにくいのですが、わたしたちには不安や恐れもたくさんあります。地震や水害が起こらないか。戦争が始まらないか。病気にならないか。子どもたちがそれなりにゆたかに生きられるように進学や就職ができるか。高齢の親が毎日を穏やかに健康で過ごすことができるか。

 心配や不安に加えて、わたしたちは、満たされない思いや後悔の念も背負っています。自分の積み上げてきた成果や養ってきた実力が、先入観や組織の筋によって、あるいは、世間の空気によって、軽く見られている、顧みられていない、そういう悔しさや憤りが重く溜まっています。

 あるいは、あの人にあんなことを言わなければよかったとか、あの時あんなことをしなければ良かったとか、取り返しのつかないことをしてしまったとか、あの人を傷つけてしまったとか、という悔いの想いをも、わたしたちは心の底にヘドロのように沈めています。

 けれども、子どものころ、わたしたちは、もっと身軽でした。こんなに大きなもの、こんなにたくさんのものを背負っていませんでした。たしかに、子どもも、人との接触を通して、痛みや傷を重ねていくのですが、それでも、心配や不安や不満や後悔の念よりも、この世界は信頼できる、まわりの大人が助けてくれる、そういう信頼感が強く、悩むよりも、委ねることの方が勝っていたのではないでしょうか。

 聖書によりますと、神は大切なことを智者や賢者ではなく幼子に示した、とイエスは言いました。抱えている心配や恐れ、不満や後悔について、自分の考えに頼み過ぎて、思い煩うより、幼子のように、自分とまわりを信頼し、委ねること、とくに、神に委ねることの大切さを示そうとしたのではないでしょうか。

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。

 イエスは、ああしなさい、こうしなさい、あれもしなさい、これもしなさい、と人びとに強いませんでした。わたしたちは、自分や他者に、あれもこれも求めすぎて、疲れさせ、重荷をおわせてしまっているのとは、正反対です。

 あれが心配だから、ああしなければ、これが心配だからこうしなければ、とあれこれ思い悩むよりも、子どもの時のように、自分やまわりを信頼して、さらに言えば、生きている世界を信頼して、もうひとつ言えば、神に委ねて、重荷を軽くしよう、とイエスは招いているのではないでしょうか。

 神に委ねるとは、神がいるとかいないとか頭の中で考えることではなく、子どものとき、まわりのおとなや布団に全体重を任せた、あの信頼の感覚に近いのではないでしょうか。


nice!(0) 
前の10件 | -
2017年05月|2017年06月 |- ブログトップ