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聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(68) 「最後に愛は勝つか? 事実ではないが、真実だ」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(68)

「最後に愛は勝つか? 事実ではないが、真実だ」

 「最後に愛は勝つ」という歌が流行りました。けれども、愛し続ければその思いはかならず相手に届き、相手もそれに応えてくれると、文字通りに信じている人は少ないのではないでしょうか。多くの人は、通じる愛もあれば通じない愛もあり、叶う愛もあれば叶わない愛もあることを、経験したり、知っていたりします。それにもかかわらず、この言葉から、勇気や慰めをもらったという人は珍しくないでしょう。

 文脈にも拠りますが、「きっとなんとかなる」「きっと道が開かれる」という言葉についても、似たようなことが言えるのではないでしょうか。何の根拠もないし、これまでの経験上から推測すればそんなことはなかろうという判断もありうるのですが、そうした「事実性」を越えて、こうした言葉が、わたしたちの力になり、人生や世界への信頼を高めてくれることがあります。

 「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」。憲法第十一条です。基本的人権が住民に十分に与えられている、人権が守られているなどとは、とうてい思えません。沖縄の米軍基地、ヘイトスピーチ、国会の運営法、政治家の発言などを見ますと、むしろ、人権侵害がいよいよ深刻になっていると考えられます。けれども、「侵すことのできない永遠の権利」としての「基本的人権」を「憲法が国民に保障する」という崇高な言葉と精神に触れますと、ぜひともこれを実現させなければならないという強い思いが湧いてきます。

 言葉には、現実、事実を越えた力があるのです。

 聖書によれば、病人を救ってくれとイエスに求めてきた人がいました。イエスが病人のもとに駆けつけようとすると、その人は「来てくれなくても良い、それよりも、あなたの言葉が欲しい。わたしは、言葉の強さを知っている」という意味のことを答えます。すると、イエスは、この人の言葉への信頼感をほめたとあります。

 聖書には「わたしはあなたとともにいる」という神の言葉が記されています。わたしはこの言葉に救われます。ひとりぼっち、自分には誰もいない、誰もわかってくれない、と苦しむわたしのたましいは、この言葉に癒されます。

 それは、心理的な安心、とも少し違います。もっと根本的なものです。自分が心理的には不安定なときでも、この言葉はゆるがずここにある、そういう癒しです。

 「わたしはあなたとともにいる」。この言葉は、事実というよりも、真実としてわたしを支えてくれます。神がわたしとともにいてくれる、というのは、超常現象でもいわゆる神秘体験でもなく、そのような事実を越えた、真実なのです。
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