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聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(58)「死者は遠くに行ってしまい、しばらく会えない、のではありません」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(58)「死者は遠くに行ってしまい、しばらく会えない、のではありません」

 死んでしまった人は、今いったい、どこにいるのでしょうか。わたしたちは、「あの人は遠いところに行ってしまった」とか、「空の高いところから見守っていてくれる」などと口にすることがあります。死者との距離を感じているのです。

 その人とはどうしたら会えるのでしょうか。わたしたちは、「天国でまたお会いしましょう、わたしたちもやがてそこに行きます」とか、「おかあさんはいまごろ天国でおとうさんと再会しているでしょうね」とか言ってみたりすることもあります。その日までは、しばらくおわかれ、という感覚があります。

 けれども、死んでしまった人たちが、じつは、すぐそばにいてくれる、と感じることもないでしょうか。なんだかいつも一緒にいてくれるような気がするんだよね、目には見えないけれども隣にいて支えていてくれると思うんだ。そういう気持ちになることもあります。

 死んだ人は遠くに行ってしまって、わたしたちが死ぬまで会えないのでしょうか。それとも、今も、一緒に生きつづけているのでしょうか。

 聖書によりますと、ある女性が兄弟に先立たれました。イエスが「あなたの兄弟は復活する」と言うと、彼女は「終わりの日に復活するのですね」と答えます。

 けれども、イエスは、そうではない、そんな遠い日のことではない、と伝えます。そして、今あなたの眼の前にいる「わたしこそが、復活であり、命である」と語るのです。

 イエスは、人のいのちの根源には神のいのちがあることを強く感じていました。そして、両者のつながり、さらには、自分のいのちと神のいのちのつながりを確信、いや、信頼していました。

 イエスは、神のいのちは死を越えて人とつながっていると信頼し、それは、一般論などではなく、まさに自分と神さまの関係において、そのことを強く信じていたのです。

 そのイエスにとって、死者もまた、神のいのちとつながっているのであり、神のいのちを通して、死者と生者は、何かの日を待たなくても、つまり、たった今も、しっかりつながっているのです。

 イエスは「復活」「命」という言葉によって、神と深く結ばれたいのちへの生き生きとした信頼を言い表したのではないでしょうか。

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