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《使徒書の御言葉》その51「信仰は信念ではなく、神さまの思いに耳を傾け、自分の中に迎えることです」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その51「信仰は信念ではなく、神さまの思いに耳を傾け、自分の中に迎えることです」

ローマの信徒への手紙 10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

※信仰は信念ではありません。自分の強い思いのことではないのです。信仰は自分の思いを強く持つことではなく、聖書を通して、神さまの救いのお心に耳を傾け、それを自分の心の中にお迎えすることです。たとえば、インマヌエル(「神さまがともにいてくださる」)とは、わたしたちの思いではなく、わたしたちと一緒にいてくださる神さまの救いのお心なのです。自分の中にはなかった、インマヌエルという神さまの救いのお心を、わたしたちの心の中にお迎えすることが信仰なのです。

今週の祈り「主よ、主よ。あなたにそう呼びかけることをお許しくださり、まことにありがとうございます。神さま、心身の痛みを抱え、調子を崩している遠方の友をあなたの御手のお力でお癒しください。神さま、あなたに聞き、あなたに求め続けていますが、どうぞ、これが絶えることがありませんように。神さま、高齢者や病気の方々を、この寒さの中で、お守りくださいますようにお願い申し上げます。神さま、若い人びとが持てる力をよく発揮して、未来を迎えることができますように。神さま、この世界、この国、そして、この教会に、あなたの愛と、あなたの正義と、あなたの平和をもたらしてください。人が人の上に立って抑え付けることがありませんように。皆の顔が覚えられ、皆が尊ばれますように。イエス・キリストとともにあなたを仰ぎつつ、このお祈りをおささげいたします。アーメン」

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2017年2月26日 [週報]

2017年2月26日  降誕節第10主日              No.48

前   奏   
招きの言葉
讃 美 歌  こども20
主の祈り    (お手元のクリアファイルをごらんください)
聖   書   マタイによる福音書14:22-36 (新約p.28)
子ども説教   
捧げもの(こどもたち)
讃 美 歌  こども24-1「いまそなえる」
祝   福
詩編交読   詩編6
讃 美 歌   21-16
信仰告白   (お手元のクリアファイルをごらんください)
祈   祷
説   教   「私がいる。恐れるな」 
今週の祈り
讃美歌   21-357
献   金
祈   祷   
讃 美 歌   21-476
頌   詠   一編 541
祝   祷
後   奏
報   告       
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本日の集会:9:30am 聖書の学び    10:00am 中高生礼拝
 礼拝後: 教会協議会

今週の集会 聖書と祈りの会 水曜日   土曜夕礼拝 7:00pm 

来週の主日礼拝 3月5日(日)  受難節第1主日  
☆ 聖書 マタイ4:1-11  詩編7 
☆ 説教 「ただ神だけを」 林巌雄牧師
☆ 讃美歌 こども34、21-17、21-78、21-497、一編539
☆ 9:30am 聖書の学び 10:00am 中高生礼拝
☆ 礼拝後: 役員会(教会運営委員会)

報   告
☆本日礼拝後の教会協議会では蒲田教会の年間の動きや将来について話し合います。ぜひ、ご参加ください。
☆「キリスト教を学ぶ会」は、教会に集う人皆の学びの場です。信仰、洗礼、教会、礼拝・・・といったテーマについて、牧師の発題や教会員の経験談、考えなどを聞いて、自由に話し合います。どなたも、ぜひご参加くださり、たがいに学びあい、教会が信仰共同体として成長していきましょう。奇数月は第2主日、偶数月は第3主日の礼拝後、もしくは、愛餐会後に開催します。次回は3月12日、テーマは「洗礼」です。

☆お花、祈り、映写の当番をしてくださる方は、牧師までおっしゃってください。

これからの主な予定  3月12日 祈祷会、キリスト教を学ぶ会 
3月19日 マリアの会、オリーブの会

先週集会報告 ☆礼拝(19日)37名  ☆中高生礼拝(19日)1名
☆聖書の学び(19日)8名 ☆聖書と祈りの会(22日)3名 ☆土曜夕礼拝(18日)8名

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聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(50)「人生を支えてくれる二段の構え」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(50)「人生を支えてくれる二段の構え」

 「妹よ」という歌があります。南こうせつさんが歌っていました。明朝、自分の友人と結婚する妹に贈る、夜ふけの歌です。妹は器量があまり良くないから心配したとか(失礼で余計な心配!)、結婚相手は良い奴だからどんなことがあっても我慢しなさいとか、ひとしきり述べたあと、さいごに、どうしてもだめだったらここに戻ってくればよいよ、と結んでいます。

 わたしたちはこのように、二段に構えることがあります。一所懸命にやって目標が達成できるとよいね、けれども、万が一、それができなくても、他にも道があるから大丈夫だよ、と言い聞かせることもあります。

 もっと実際的なことを言えば、A大学がダメだったらB大学があるとか、C社がダメならD社があるとか言うように「スベリ止め」を確保するように考えることが人生には多いように思います。D社もだめなら、実家に帰るということもあります。わたしも、転職をと三社ほど受けて不採用になったときは、九州の両親の家に帰って、つぎの旅立ちまで、しばらくゆっくりさせてもらいました。

 聖書によりますと、イエスの弟子たちは嵐の湖を舟で渡っていました。真夜中です。逆風が吹き荒れ、波が立ちました。弟子たちは恐れおののきます。

 ところが、そこにイエスがやってきます。驚くべきことに、嵐の湖面を歩いてきたのです。これは、人生の困難な道を歩くことの比喩かもしれません。ペトロという弟子はそれを見て、自分も湖面を歩もうとします。ペトロもイエスのように、苦しくても人生の道を歩き抜きたいと願ったのかもしれません。

 ペトロはイエスの方を見すえながら湖上を歩き始めました。最初の数歩はうまくいったようです。けれども、強い風を気にしだしたとたんに、足が沈んでしまいます。

 そのとき、イエスが手を伸ばし、ペトロの手首をしっかりとつかみました。

 ここで、イエスはペトロのためにふたつの道を用意していたのかもしれません。ひとつは、ペトロがイエスを信じて自分で歩み道、もうひとつは、それがだめなときはイエスが手を伸ばしペトロをつかむ道です。神の救いは幾重にもなっていることを聖書は告げているのではないでしょうか。
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負けないいのちの詩45   「腕力でもなく、根回しでもなく、くじ引きをせよ」 [負けないいのちの詩]

負けないいのちの詩45   「腕力でもなく、根回しでもなく、くじ引きをせよ」

その川を渡り、その土地に入るためには、
神を畏れぬ支配者をすべて追い払い、
神を騙る偶像どもをすべて打ち砕き、
権力と暴力の祭壇をことごとく破壊せよ

わたしはあなたがたにこの土地を与える
誰かが広く占めてはならない
誰かを狭い地に封じ込めてはならない
くじでわけなさい
皆に平等に配りなさい

もし誰かが土地や権力を独占し続けるなら
その者らは
あなたたちの目に突き刺さるとげ、
脇腹に刺さる茨となって、
あなたたちを苦しめ続けるだろう
かの人をも苦しめるだろう

だから、あなたたちはくじ引きをせよ
川を渡れば、まったく新しい土地を与えるから

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《創造者に導かれる旅》その51「わたしたちが本当にお仕えし礼拝すべきお方は、わたしたちの創造者であり救済者である神さまです」 [希望と慰めの言葉]

《創造者に導かれる旅》その51「わたしたちが本当にお仕えし礼拝すべきお方は、わたしたちの創造者であり救済者である神さまです」

出エジプト記5:1〈モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と」〉

※「わたしのために祭りを行う」とは神さまを礼拝することです。エジプトで奴隷になっていたイスラエルの民を神さまがそこから救い出された目的のひとつは、民がエジプト王ファラオではなく、神さまに仕えるためだったのです。わたしたちが本当にお仕えすべきお方は、この世の王や権力者ではなく、この世界の創り主であり、わたしたちを創り、いつもそばにいて、お導きくださる神さまです。神さまが民をエジプトから解放してくださるのは、まさにこのためだったのです。

今週の祈り「神さま、あなたはわたしたちを癒し、やすらぎを与えてくださいます。あなたはそのためにわたしたちをこうして祈りに招いてくださいました。まことにありがとうございます。神さま、心身を傷めている友らを、どうぞ、あなたのシャローム(平和、平安)で満たしてください。神さま、礼拝や祈り会にお導きくださり、まことにありがとうございます。どうぞ、引き続き、そのようにお導きください。神さま、進路や将来のことで、悩みや不安や問題を抱えている友らに、どうぞ、まばゆい希望をお与えください。広い道をお造りください。神さま、この地上に正義がなされますように。人が人を押さえつけたり、捻じ伏せたりすることがありませんように。そうではなく、わたしたちが他の人を尊敬し、誠実に仕えることができますように。イエス・キリストとともにあなたを仰ぎつつ、このお祈りをおささげいたします。アーメン」

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2017年2月19日 [週報]

2017年2月19日  降誕節第9主日              No.47

前   奏   
招きの言葉
讃 美 歌  こども19
主の祈り    (お手元のクリアファイルをごらんください)
聖   書   マタイによる福音書15:21-31 (新約p.30)
子ども説教   
捧げもの(こどもたち)
讃 美 歌  こども24-1「いまそなえる」
祝   福
詩編交読   詩編5
讃 美 歌   21-13
信仰告白   (お手元のクリアファイルをごらんください)
祈   祷
説   教   「祈る者とともに痛んでくださるイエス」 
今週の祈り
讃美歌   21-356
献   金
祈   祷   
讃 美 歌   21-511
頌   詠   一編 541
祝   祷
後   奏
報   告      
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本日の集会:9:30am 聖書の学び    10:00am 中高生礼拝
 礼拝後: 愛餐会、マリアの会、キリスト教を学ぶ会

今週の集会 聖書と祈りの会 水曜日   土曜夕礼拝 7:00pm 

来週の主日礼拝 2月26日(日)   降誕節第10主日  
☆ 聖書 マタイ14:22-36  詩編6 
☆ 説教 「私がいる。恐れるな」 林巌雄牧師
☆ 讃美歌 こども20、21-16、21-357、21-476、一編541
☆ 9:30am 聖書の学び 10:00am 中高生礼拝
☆ 礼拝後: 教会協議会

報   告
☆2月より、奇数月は第2主日、偶数月は第3主日の礼拝後に、青年を中心にした学びの時間として「キリスト教を学ぶ会」を持ちます。信仰、洗礼、教会、礼拝・・・といったテーマについて、牧師の発題や教会員の経験談、考えなどを聞いて、自由に話し合います。青年以外の方も、ぜひご参加くださり、たがいに学びあいましょう。
☆本日午後1時より「キリスト教を学ぶ会」を開きます。テーマは「祈り」です。また2月26日の教会協議会では蒲田教会の年間の動きや将来について話し合います。ぜひ、ご参加ください。
☆お花、祈り、映写の当番をしてくださる方は、牧師までおっしゃってください。

これからの主な予定  3月5日 役員会、教会協議会  
3月12日 祈祷会、キリスト教を学ぶ会 3月19日 マリアの会、オリーブの会

先週集会報告 ☆礼拝(12日)38名  ☆中高生礼拝(12日)3名
☆聖書の学び(12日)7名 ☆聖書と祈りの会(15日)6名 ☆土曜夕礼拝(11日)5名

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聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(49)「人の苦しみを痛感し、我が身を痛める」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(49)「人の苦しみを痛感し、我が身を痛める」

「同情」という言葉があります。「同情はやめてくれ」というように、幸福、幸運、立場、能力、成果などにおいて自分は優位だと思っている人が劣位に位置づけている相手を高みから「かわいそうなやつだ」と見下す心情を指すように思われがちです。しかし、文字に注目しますと、「情けを同じくする」とあります。つまり、相手と心を同じくする、相手と気持ちを同じくしようとするということでしょう。

英語にはコンパッションという言葉があります。コンとパッションが合わさった語ですが、コンには「一緒に」「ともに」というような意味があり、パッションには「情熱」「激しい感情」という意味がありますが、さらには「イエス・キリストの受けた苦しみ」という意味もあります。つまり、コンパッションは、「同情」「共感」、さらには、「共苦」とも訳し得るのです。

沖縄には「チムグルサ」という言葉があり、漢字ですと「胆苦さ」となるそうです。これは、誰かが傷んだり苦しんだりしているのを見、わがこととして心痛を覚え、いても立ってもいられない心のあり方を指すようです。

新約聖書によりますと、イエスが異邦人(ユダヤ人ではない人々)の地域に行くと、異邦人の女性から、苦しんでいる娘を助けてくれと懇願されます。

しかし、イエスは「主(しゅ)よ、わたしを憐れんでください」という彼女の第一声には何も答えませんでした。「主よ、どうかお助けください」という第二声に対しても、イエスは、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と答えます。「子供たち」とはユダヤ人のことであり、この言葉は、ユダヤ人のための救いを異邦人にわたすことはできない、という意味になります。

けれども、驚くべきことにこの女性は「しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」とイエスに切り返します。イエスはそれを聞き、ついに「あなたの願いどおりになるように」と言い、娘の病気が癒されたと聖書は記しています。

この物語は何を伝えようとしているのでしょうか。熱心に願えば、祈れば、叶えられるということでしょうか。それとも、イエスは、この女性の切返しの言葉に感心したということでしょうか。

そうかもしれませんが、こういうふうにも考えられます。イエスは、この女性の三度の訴えによって、この女性の痛みと苦しみをわがこととして痛感したのだと。イエスのコンパッション、イエスのチムグルサだったのではないでしょうか。

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負けないいのちの詩44   「井戸を掘れ、深く掘れ」 [負けないいのちの詩]

負けないいのちの詩44   「井戸を掘れ、深く掘れ」

民を集めよ
水を飲ませよ

井戸よ、湧き出よ
井戸に歌え
笏と杖で井戸を掘れ
地底の川まで深く掘れ

荒れ野をわたり
ピスガにのぼれ
そして荒れ野を
見渡すのだ

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《使徒書の御言葉》その50「神さまを信頼する者は救われますが、信頼し切れなくても見捨てられません」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その50「神さまを信頼する者は救われますが、信頼し切れなくても見捨てられません」

ローマ10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。10:11 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。

※信じるとはどういうことでしょうか。パウロはこれを、掟を守りそのごほうびとして神さまに救われようとすること、つまりは、掟を守るという自分の力によって救われようとすることの対極の事柄として示しています。つまり、信じるとは、掟を守っているという目に見える確証によって救いを自分に保障するのではなく、そのような確証や交換条件なしに、ただ神さまにお委ねすること、ただ神さまを信頼することなのです。そのような神さまへの信頼は、神さまとの望ましい関係(義)であり、わたしたちの生きる希望なのです。けれども、わたしたちは神さまを信頼できない時もあります。いや、そういう時がほとんどです。それでも、神さまの方はわたしたちをお見捨てになりません。神さまの方は、わたしたちの手をお離しになりません。神さまを信頼することによる救い、信頼しきれないわたしたちをお見捨てにならない神さま。救いは何層にも塗り重ねられているのです。

今週の祈り「神さま、あなたは闇の中の光であり、わたしたちは祈りの中で、光を浴びます。心より感謝いたします。神さま、友や家族の心身をお守りください。不調に悩む友をお癒しください。神さま、友に友をお与えください。あなたがまず最良の友となってください。神さま、目標に向かって進む友を支え、お導きください。道を切り開いてください。神さま、この世界をあなたの正義と平和を満たしてください。私利私欲、傲慢、支配ではなく、奉仕と謙遜、愛と良心によって、わたしたちが生きることができますように。イエス・キリストとともにあなたを仰ぎつつ、このお祈りをおささげいたします。アーメン」

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