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負けないいのちの詩83 「あなたは死んではいけません、戦ってもいけません」 [負けないいのちの詩]

負けないいのちの詩83
「あなたは死んではいけません、戦ってもいけません」

相手の軍備を見ても恐れるな
主がともにおられる

あたらしい家を建てても
仕事を始めても
婚約しても
戦争で死んでしまっては
そこに住むことも
成果を得ることも
結婚することもできない

きみ死に給うことなかれ

いったん戦争に行ってしまえば
住民を降伏させなければならない
強制労働させなければならない
抗う者らは皆殺しにせねばならない
女性や子どもや財産を略奪しなければならない

きみ闘い給うことなかれ

(申命記20:1-20参照)

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2018年4月22日 [説教動画]

2018年4月22日  主日礼拝

https://www.youtube.com/watch?v=4RPVJwmmLHQ
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 「イエスさまが光となって導いてくださいます」 [週報]

中高生礼拝 20180422 ヨハネ8:12 p.181 

 「イエスさまが光となって導いてくださいます」

 皆さん、おはようございます。今読んだ聖書の中で、イエスさまは、「わたしは世の光である」と言っています。これは、どういう意味なのでしょうか。

 ところで、今日わたしたちが読んでいる聖書の書物は「ヨハネによる福音書」と言います。「福音書」とは「幸福なお知らせが書いてある書物」という意味ですが、具体的には、イエスさまのしたことや言ったことが書かれています。「ヨハネによる福音書」とは「ヨハネが書いた福音書」という意味です。

 さいしょに、イエスさまは「わたしは世の光である」と言われたと言いましたが、ヨハネによる福音書では、イエスさまは、自分のことを「わたしはまことのぶどうの木である」とか「わたしは良い羊飼いである」とか「わたしは道であり、真理であり、命である」などとも言っています。
 
 つまり、イエスさまは、いろいろなものにたとえて、自分のことを人びとに伝えたかったのでしょう。

 「わたしは良い羊飼いである」というイエスさまの言葉は、羊飼いが羊の群れに草を食べさせたり水を飲ませたり猛獣から守ったりするように、イエスさまもわたしたちの心の栄養になるものを与えてくれ、わたしたちが苦しいとき守ってくださることを意味しています。

 「わたしはまことのぶどうの木である」とは、ぶどうの木の中心になる幹が、枝に水分や養分を送って、ぶどうの実を実らせるように、イエスさまもわたしたちの心を潤してくれたり、心を育ててくれたりすることを意味しています。

 では、今日の聖書の「わたしは世の光である」とはどういう意味でしょうか。「世」とは「世の中」です。世界です。わたしたちが生きていく世界です。あるいは、わたしたちの人生と言ってもよいかもしれません。さらには、わたしたちの毎日の生活と言ってもよいかもしれません。
 
 わたしたちは、学校生活はどうだろうかとか、部活はどうだろうかとか、勉強についていけるだろうかとか、いろいろ心配があります。毎日の生活には、心配があります。

 また、将来のことも、自分はこれからどういう学校に行って、どういう仕事について、といろいろと不安があります。
でも、わたしたちの毎日の生活や人生の道のりを、イエスさまが光になって、導いてくださいます。「わたしは世の光である」とはそういう意味なのです。

 毎日の生活や将来のことで不安や心配が高まるときは、イエスさま、わたしの光になって導いてください、とお祈りをするとよいと思います。そうすれば、イエスさまは、きっと、わたしたちが心配や不安を乗り越えられるように、わたしたちを支えながら、導いてくださることでしょう。
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聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(82) 「知らないうちに種が蒔かれ、実を結んでいます」 [聖書の話を身近な経験に置き替えてみた]

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(82)

「知らないうちに種が蒔かれ、実を結んでいます」

 十余年前に教会の建物を建て替えました。そのさい、庭に木の苗を何本か植えました。オリーブ、いちじく、リンゴ。桃栗三年、柿八年と言いますが、たしかに、ここ数年、どの木もよく実を結んでいます。

 オリーブは摘むと数籠にもなり、アクを抜いて漬けていただきます。いちじくやリンゴは、さっと洗う程度で、そのまま食べます。

 花壇では、ブルーベリーやハナニラ、あじさい、ひまわり、ミニ薔薇などを育てています。生垣はヤマブキです。少し前まで、黄色の花をいっぱいに咲かせていました。それに促されたかのように、花壇のイエロー・フリージアも満開になりました。

 そして、ヤマブキとフリージアにあわせたかのように、タンポポや名前の知らない草までもが、黄色の花びらをたくさん開きました。もちろん、種を蒔いたわけではありません。知らないうちに自然に種が蒔かれたのでしょう。

 予定通りに芽を出し花開くものもありますが、予定していなかったものもあります。

 わたしたちの人生はどうでしょうか。計画したものだけが開花しているでしょうか。それとも、予想外に咲く花もあるでしょうか。

 子どもたちを見ていますと、親が教えなかったものがいくつも育っていることを感じます。友達づきあいや、子どもらしい無邪気な心もそうですが、なんと言っても、生きていく力です。そんな種は蒔いた覚えがなかったのに、ありがたいことに若木がしっかり成長してきています。

 聖書によりますと、神さまは、愛、喜び、平和、寛容、誠実などの種をわたしたちの中に蒔き、育て、実を結ばせてくださっています。

 自分の感情だけ見ていると、孤独や心配、憎しみ、悲しみ、葛藤、不寛容、虚偽しか見当たらないのですが、知らずに庭に生えたタンポポや名も知らぬ野草のように、これらと正反対のものも育っているかもしれません。

 わたしたちはマイナスの気持ちや感情だけを見つけがちですが、よく探したら、わたしたちの中には、神さまが育ててくれた愛、喜び、平和、寛容、誠実も実を結んでいるのではないでしょうか。しずかに探せば、きっと見つかることでしょう。

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《使徒書の御言葉》その81「有力・優秀・有能なものではなく、無力・劣等・無能の十字架を見つめましょう」 [希望と慰めの言葉]

《使徒書の御言葉》その81「有力・優秀・有能なものではなく、無力・劣等・無能の十字架を見つめましょう」

コリントの信徒への手紙一1:17 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

※パウロは洗礼を否定しているわけではありません。コリントの教会には、どの指導者につくかで分裂があったようですが、誰から洗礼を受けようと、皆イエス・キリストの名によって洗礼を受けたのではなかったか、とパウロはたしなめているのです。また、パウロにとって大事なことは、豊富な知識や優れた知恵ではなく、むしろ、その正反対のもの、つまり、十字架につけられ殺された惨めなキリストの姿でした。わたしたちは有力者につこうとしたり優秀・有能であろうとしたりしますが、パウロは、むしろ、無力で劣等・無能に思えるキリストの十字架を見よ、と呼びかけているのです。

今週の祈り「神さま、思い煩うわたしたちを、野の花のようにただあなたに委ねる祈りへとお招きくださり、まことにありがとうございます。神さま、災害や戦争や不正に苦しめられる人びとを、どうぞ、お救いください。あらゆる暴力・抑圧・ハラスメントの加害者が自分の非を認め、被害者がそこから救い出されますように。神さま、わたしたちが偽りの言葉や行動を止め、むしろ、あなたにも隣人にも自分自身にも誠実になれますように。神さま、わたしたちをうぬぼれや争い、ねたみから救い出し、謙虚、和解、尊敬へと導いてください。主イエス・キリストのお名前によって、この祈りをおささげいたします。アーメン」

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2018年4月22日 [週報]

2018年4月22日   復活節第4主日          No.4

前   奏   
招きの言葉
讃 美 歌  こども91
主の祈り    (お手元のクリアファイルをごらんください)
聖   書   コロサイの信徒への手紙1:25 (新約p.369)
ガラテヤの信徒への手紙5:22-26(新約p.350)
子ども説教   
捧げもの(こどもたち)
讃 美 歌  こども24-1「いまそなえる」
祝   福
詩編交読   詩編79編
讃 美 歌   21-57
信仰告白   (お手元のクリアファイルをごらんください)
祈   祷
説   教   「み言葉に聞き、互いに愛する教会」 林巌雄牧師
今週の祈り
讃 美 歌   21-417
献   金
祈   祷
讃 美 歌   21-390
頌   詠   一編 541
祝   祷
後   奏
報   告       
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本日の集会: 7:00am 開堂 7:30am 朝礼拝 9:30am 聖書の学び 
10:00am 中高生礼拝 礼拝後:おにぎりによる愛餐会、蒲田教会2018年度教会総会

今週の集会 聖書と祈りの会 水曜日 7:00pm  土曜夕礼拝 7:00pm 

来週の主日礼拝 4月29日(日)  復活節第5主日  役員就任式
☆ 聖書 ヨハネ15:1-17 詩編80編1-8節
☆ 説教 「互いに愛し合う教会」 林巌雄牧師
☆ 讃美歌 こども60、21-56、21-416、21-333、一編541
☆ 9:30am 聖書の学び 10:00am 中高生礼拝
☆ 礼拝後: 讃美歌練習(21-416) ワックス塗り

報   告
☆本日13時より、2018年度の蒲田教会総会を4月22日の礼拝後に開催します。教会員はぜひご参加ください。議題は、2017年度の決算報告、諸報告、2018年度の計画、予算案、役員選挙等です。
☆イースター克己献金をささげましょう。キリストの十字架を想い贅沢を控え、キリストの復活に感謝して、ささげましょう。
☆2018年度の月定献金、会堂維持献金の袋を用意しました。主に感謝して、み言葉の宣教と教会の働きのために、ささげましょう。

これからの主な予定 5月6日 聖餐式、役員会(教会運営委員会)
5月13日 祈祷会、キリスト教を学ぶ会 5月20日 ペンテコステ、マリアの会、オリーブの会  5月27日 教会協議会 2018年度聖句、テーマについて

先週集会報告 礼拝(15日)30名   中高生礼拝(15日)6名 
聖書の学び(15日)5名  聖書と祈りの会(18日)7名  土曜夕礼拝(14日)6名

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神さまが実らせてくださる心の果物 [こども説教]

子ども説教20180422  コロサイ1:25 ガラテヤ5:22

「神さまが実らせてくださる心の果物」

 皆さん、おはようございます。わたしたちは、こうやって礼拝をしたり、聖書を読んだり、お祈りしたりしていると、神さまのお言葉が聞こえてきます。誰か人が話すようには聞こえて来ませんが、心の中で、神さまのお気持ちが少しずつわかってくるのです。神さまがわたしたちをいつでも守ってくださること、神さまがいつでもわたしたちと一緒にいてくださること、神さまがどんなときでもわたしたちを愛していてくださることがわかってくるのです。

 すると、神さまは、わたしたちの心の中に種を蒔いてくださいます。種は芽を出し、やがて、木になり、リンゴやいちじくやオリーブのような実を結びます。神さまが、わたしたちの心の中に、そんな実を結ばせてくださいます。

 でも、心の中ですから、本物のリンゴやいちじくがなるわけではないのです。そうではなくて、わたしたちの心の中には、やさしさが実るのです。やさしい気持ちが実るのです。自分以外の人を大事にしよう、という気持ちが実ってくるのです。

 それは、愛と言っても良いのです。神さまはわたしたちを愛してくださいます。わたしたちが神さまのその気持ちをわかると、今度はわたしたちの中に、ほかの人を愛そう、ほかの人を大事にしようとする心が実ってくるのです。

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『黙れ、静まれ』という声が聞こえる奇跡 [中学生・高校生礼拝]

「『黙れ、静まれ』という声が聞こえる奇跡」

マルコによる福音書 4:35-40

 皆さん、おはようございます。皆さんは、奇跡を信じるでしょうか。わたしは、オカルトや超自然現象などは、あまり信じないたちです。

 けれども、いま読んだ聖書の箇所には、たしかに、超自然現象が書かれています。大きな湖を、イエスが弟子たちと小さな舟で渡っていると、嵐に見舞われたとありました。舟は今にも沈みそうだし、そうなれば、皆、溺れて死んでしまいそうです。ところが、イエスが、湖に向かって、「黙れ、静まれ」と言ったら、嵐は治まったというのです。そんなことがありえるでしょうか。そんな奇跡が起こるでしょうか。
 
 けれども、この聖書の箇所を、別の角度から読み直してみますと、こんな奇跡はありえない、つまらない作り話だ、ということとは違う感想を持つことが出来るかも知れません。
それは、湖を小さな舟でわたることを、わたしたちの人生の比喩だとする読み方です。じっさい、わたしたちの人生はよく船旅にたとえられます。そして、船旅には嵐がつきものです。人生には嵐のような困難がつきものです。

 37節をもう一度見てください。「激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった」。皆さんの、十何年かの人生にも、激しい突風が吹いたような、大事件が起こったこと、苦しいこと、乗り越えるのが難しそうなことが起こったことがなかったでしょうか。そのような中で、心の中が、水浸しになってしまったように感じたことはなかったでしょうか。

 中学入試や高校入試に失敗したり、大けがや大きな病気をしたり、勉強や部活でいくらがんばっても目に見える結果がでなかったり、人に傷つけられたり、人間関係で苦しんだり、そんな、嵐を経験し、心が水浸しになったことはなかったでしょうか。
 
 聖書に戻りますと、38節をご覧ください。4:38 しかし、イエスは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。
 
 弟子たちは、嵐で死にそうだと苦しんでいるのに、イエスはぐうぐう寝ていたというのです。弟子たちは、これを見て、なんと呑気な、なんと無責任な、と思ったかも知れませんね。

 けれども、考えてみてください。わたしたちが苦しんでいるとき、わたしたちがもう駄目だと大慌てしているとき、そのなかに、ひとり、騒がず、静かにしている人、寝続けるくらいに緊張感のないリラックスした人がいた方が、その場が落ち着くことがないでしょうか。
 
 つづいて、39節です。4:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。

 わたしは、聖書のこの部分を読むたびに、こう思います。つまり、わたしの人生が嵐に見舞われて、苦しんで、心を乱し、心も大嵐になったときに、イエスはわたしの心の嵐を静めようとしていてくれているように思うのです。あるいは、心の大嵐に見舞われたときは、この聖書の箇所を思い出そう、イエスの「黙れ、静まれ」という声を思い出そう、イエスがわたしの心の嵐を静めようとしているのだと信じようと思うのです。

 40節です。4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」

 わたしたちは、ときどき、自分の人生を怖がります。人生の中で大きな不安や恐れを感じます。心の中に嵐が起こります。それでも、静かに耳を澄ませば、その嵐を静めようとする「黙れ、静まれ」という声がどこかから聞こえてくるのではないでしょうか。

 「怖がらなくても良い、心配しなくても良い、あなたの道を、あなたの人生を信じなさい」という声がどこからか聞こえてくるのではないでしょうか。

 湖の嵐がイエスの声によって突如静まったという超自然現象、そのような奇跡は、わたしたちは、なかなか信じられません。

 けれども、わたしたちが嵐に見舞われ、心が水浸しになっても、その嵐を静めようとする「黙れ、静まれ」という声がどこからか聞こえてくるという奇跡は信じられるのではないでしょうか。

 その声は、皆さんの親かも知れないし、友達かも知れないし、先生かも知れません。二千年前に新約聖書を記した人びとは、その声は、イエスからの声だと信じたのです。そして、わたしたちはその聖書を今こうして読んでいるのですから、わたしたちも、その声をイエスの声だと思ってもおかしくはないのではないでしょうか。
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「偽りの証言をしてはならず、真実の証言をしなくてはなりません」 [負けないいのちの詩]

負けないいのちの詩82

「偽りの証言をしてはならず、真実の証言をしなくてはなりません」

一人の偽証によって
暴力が事実とされてはならない

けれども一人の被害者の
真実な証言によって
暴力の存在は
認められなければならない

偽証をする者
真実を証言しない者
私欲のために証言を拒む者

このような者たちが
繰り返し現れることを
許してはならない

(申命記19:15-21参照)

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2018年4月15日 [説教動画]

2018年4月15日 主日礼拝

https://www.youtube.com/watch?v=YtFi9kdwOSo
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